公開日:2025年6月27日

自ら演じる“虚構”のイメージで、インドの歴史や女性像を問う。プシュパマラ・N展「Dressing Up」が銀座のシャネル・ネクサス・ホールで開幕

インドを代表する現代アーティストのひとり。日本初個展「Dressing Up: Pushpamala N」が8月17日まで開催

会場風景より、「Return of the Phantome Lady(帰ってきたファントム レディ)シリーズ(2012)

インドの現代アート界を代表するアーティストのひとり、プシュパマラ・Nの個展「Dressing Up: Pushpamala N」が、東京・銀座のシャネル・ネクサス・ホールで開幕した。会期は6月27日〜8月17日。

プシュパマラ・N(1956〜)は、インドのバンガロール(現ベンガルール)を拠点に活動するアーティスト。彫刻家として活動をスタートさせたのち、1990年代半ばから、自ら様々な役側に扮して示唆に富んだ物語を作り上げる「フォト・パフォーマンス」や「ステージド・フォト」の創作を始めた。芸術や大衆文化、歴史を鋭く見つめ、女性像の構築や国家の枠組みに問いを投げかける作品を通して、国際的にも高く評価されている。

プシュパマラ・N

「フォト・ロマンス」で紡がれる、ファントム レディの冒険譚

本展は、シャネル・ネクサス・ホールによる、写真を主なメディアとするアジアのアーティストにフォーカスしたシリーズの第2弾。「KYOTOGRAPHIE 京都国際写真祭 2025」(4月12日〜5月11日)とシャネル・ネクサス・ホールの2会場で行われ、作家にとっては日本での初個展となる。

「Dressing Up: Pushpamala N」会場風景

歴史的な出来事や神話をテーマにした作品で構成された「KYOTOGRAPHIE」での展示に対し、シャネル・ネクサス・ホールでは、シネマティックな3つのシリーズ《Phantom Lady or Kismet(ファントム レディ あるいはキスメット)》《Return of the Phantome Lady(帰ってきたファントム レディ)》《The Navarasa Suite(ナヴァラサ スイート)》を展示。いずれもインド映画の「黄金時代」にインスピレーションを受け、ムンバイ(旧ボンベイ)で撮影された。

会場は薄いピンクを基調とした展示空間となっており、中央に赤い展示壁に囲まれた薄暗いスペースが作られている。ここに並んでいるのが、24点のモノクロ写真で構成される《Phantom Lady or Kismet(ファントム レディ あるいはキスメット)》(1996〜98)だ。

会場風景より、「Phantom Lady or Kismet(ファントム レディ あるいはキスメット)」シリーズ(1996-98)

本作は、プシュパマラ・Nが初めてフォト・パフォーマンスに取り組んだ作品で、本作をきっかけにフォト・パフォーマンスはその多面的な表現の中核を成す表現手法となっていく。撮影は自ら行っておらず、作家はいわば演出家兼主演のような立ち位置だ。

ここで展開されるのは、怪傑ゾロを思わせる出立の「ファントム レディ」が、生き別れた双子の妹ヴァンプ(妖婦)を暗黒街から救い出そうとする、というストーリー。作家は1人2役で双子の両方に扮し、フィルム・ノワール時代の映画を参照したショットによって、ふたりの異なる境遇やファントム レディの奮闘を想像させるシーンがとらえられている。

大衆映画やスタントを多用したアクション映画、探偵ものの作品などから着想を得ており、キャラクターは、「フィアレス・ナディア」と呼ばれて1930年代にインドで人気を博した女性のスタント俳優がインスレピーション源だという。「離ればなれになった兄妹や姉弟」「良い姉と悪い妹」などの設定はインド映画で人気のあるテーマで、作家はこうした大衆文化のなかのクリシェをパロディ化して作品に取り込む。

会場風景より、「Phantom Lady or Kismet(ファントム レディ あるいはキスメット)」シリーズ(1996-98)
会場風景より、「Phantom Lady or Kismet(ファントム レディ あるいはキスメット)」シリーズ(1996-98)

写真を順番に見ていくと、駅にひとり佇む「ファントム レディ」の写真に始まり、終わりにも同じくひとり駅のホームに座る彼女の姿が写し出されている。これがハッピーエンドなのか悲しい結末なのかは、見る者の想像に委ねられている。雑誌に掲載されるような、写真によって紡がれる「フォト・ロマンス」の手法が取り入れられているのも特徴だ。

会場風景より、「Phantom Lady or Kismet(ファントム レディ あるいはキスメット)」シリーズ(1996-98)

プシュパマラ・Nは本作を「ボンベイという都市へオマージュ」だとも語っており、撮影は労働者向けのカフェや歴史あるゴシック建築など、街を象徴する様々な場所で行われた。作家の友人やカフェのウェイター、その場に偶然居合わせた人なども映り込んでいる。明け方のビジネス街で撮影されたという、追っ手から隠れるファントム レディの姿をとらえた写真には、実際にその場の路上で寝ていた人々の姿が写っている。

「興味深いのは、偶然にも様々な人々や異なる階層の人たちがひとつのフレームの中に入り込む、そのセレンディピティです。ファンタジーのようなシチュエーションに見えるけれど、ドキュメンタリー作家が撮るようなものでもある。つまり、ドキュメンタリーとフィクションが交差しているのです」(プシュパマラ・N)

会場風景より、「Phantom Lady or Kismet(ファントム レディ あるいはキスメット)」シリーズ(1996-98)

変わりゆくムンバイの都市を見つめる

本作から14年後、その続編として作られたのが、《Return of the Phantome Lady(帰ってきたファントム レディ)》(2012)だ。

作家が自ら演じるファントム レディが再び表れ、孤独な少女を救出すべく奔走する姿が21枚のカラー写真にとらえられている。作品はファントム レディの冒険譚とともに、ガラス張りの新しい建物やすでに取り壊されたドライブ・イン・シアターなど、変わりゆく街の姿を写し出す。

会場風景より、「Return of the Phantome Lady(帰ってきたファントム レディ)シリーズ(2012)
会場風景より、「Return of the Phantome Lady(帰ってきたファントム レディ)シリーズ(2012)

撮影の舞台には、映画『スラムドッグ$ミリオネア』のロケ地にもなったアジア最大級のスラム街ダラビ・スラムや、かつて工場労働者のために作られた「母なるインド」の名を持つ古い映画館、土地を工業化したい政府と地元民との紛争の場となった漁村なども用いられている。本作において重要だったのは、「“ニュー・ボンベイ”と、そこにまつわる土地の問題だった」とプシュパマラは話す。

会場風景より、「Return of the Phantome Lady(帰ってきたファントム レディ)シリーズ(2012)
会場風景より、「Return of the Phantome Lady(帰ってきたファントム レディ)シリーズ(2012)

インド写真の忘れられた歴史を探求する

最後の作品《The Navarasa Suite(ナヴァラサ スイート)》(2000〜03)は、インド美学における9つの感情「ラサ」──Shingara(恋情)、Adbhuta(驚き)、Hasya(ユーモア)、Bhayanaka(恐怖)、Bhibhatasa(嫌悪)、Karuna(悲しみ)、Raudra(怒り)、Veera(勇敢)、Shanta(静寂)をそれぞれ表現した9点で構成されるセルフ・ポートレイト作品。本作は、1950〜60年代のインド映画黄金時代に、多数の俳優の宣材写真を撮影したJH・タッカーのスタジオで3年をかけて制作された。

会場風景より、「The Navarasa Suite(ナヴァラサ スイート)」(2000〜03)シリーズ

俳優の宣伝用の写真でありながら、セットなどを用いてドラマチックに演出したタッカーとの協働による本作には、タッカーの写真に見られる初期のバロック様式を用い、「リアリズムよりも物語性を表現するインド写真の忘れられた歴史」を探求する意図があるという。タッカーは引きで撮影してバストアップなどにトリミングするスタイルだったが、プシュパマラの作品ではトリミングせずに全景を使用しているため、じつは写真に機材の影や照明器具などが写り込んでおり、ここでも“虚構”と“現実”が交錯する。

「私は写真の歴史に興味がある」とプシュパマラ。「ドキュメンタリー写真やアート写真の世界ではあまり重視されてこなかった写真、たとえば、映画のスチルや演劇の舞台写真、広告写真、学術的な写真な写真。こうした写真史の一部である多様な形式は、真剣に扱われない傾向がありますが、私は、そうした多様なリファレンスを自分の作品の中でよく用いています」

会場風景より、「The Navarasa Suite(ナヴァラサ スイート)」(2000〜03)シリーズ

フィクショナルに演出された遊び心のある写真作品を通して、作られた女性像や歴史の成り立ちを問い直すプシュパマラ・N。既存のイメージを軽やかにほどき、想像力を解き放つその作品世界に、身を委ねてみてはいかがだろうか。

後藤美波

後藤美波

「Tokyo Art Beat」編集部所属。ライター・編集者。