公開日:2025年1月27日

「松本竣介 街と人 -冴えた視線で描く-」が京都のアサヒグループ大山崎山荘美術館で開催中。夭折の画家が残した、詩情溢れる作品世界

昭和初期に多くの作品を残し、36歳で早逝した洋画家。大正から昭和初期にかけ建設された山荘と、安藤忠雄設計の建築空間を生かし、60点超を展示。会期は1月4日〜4月6日。

「松本竣介 街と人 -冴えた視線で描く-」展示風景

1930〜40年代の日本の美術界に大きな足跡を残し、36歳の若さで夭折した洋画家・松本竣介(1912〜1948)。その画業をたどる展覧会「松本竣介 街と人 -冴えた視線で描く-」が、京都のアサヒグループ大山崎山荘美術館で開催されている。会期は4月6日まで。

60点超の作品とデッサンから画業を辿る

1912年に東京に生まれ2歳で岩手に移った松本は、聡明な少年に成長するが、13歳のときに病気により聴覚を失う。15歳のときに兄から油絵道具一式を贈られ、17歳で兄、母とともに上京。本格的に絵を学び始める。1935年には「第22回二科展」に初入選。その後も探求を重ね、制作に情熱を注ぎ続けるが、36歳のときに気管支喘息による心臓衰弱のため、自宅で死去した。

本展は、2023年に群馬の大川美術館で開催された「生誕110年記念 松本竣介 デッサン50」の出品作によるもの。短い生涯のなかで確かな軌跡を残し、いまもなお人々を魅了し続ける松本の画業を60点超の作品とデッサンで振り返る。松本は、大川美術館の創設者である大川栄二が美術作品のコレクションを始めるきっかけとなった作家なのだという。

「松本竣介 街と人 -冴えた視線で描く-」展示風景

戦争に向かう社会を見つめ、多くの言葉を残した

展示は、本館と新棟にある3つの展示室にわたって展開され、全6章から構成。まずは本館の第1展示室、自画像のセクションからスタートする。

美術館の本館は、関西の実業家・加賀正太郎が別荘として設計し、大正時代に木造で建てられたのちに昭和初期に増築されたもの。松本が制作を手がけた時期と山荘が多くのゲストで賑わっていた時代は同時期だったそうで、ホワイトキューブではなく、当時の記憶が残る建築を生かした展示空間で作品を鑑賞できるのは本展ならでは。

「松本竣介 街と人 -冴えた視線で描く-」展示風景

主な制作期間のほとんどを戦時下で過ごした松本は、戦争に向かっていく日本社会を冷静に見つめ、編集者であった妻とともに月刊誌『雑記帳』を創刊するなどテキストも多く残した。本展では章ごとにいくつかの松本の言葉が引用されている。

松本は1941年に『みづゑ』1月号に掲載された、全体主義における画家への要求についての座談会「国防国家と美術」に対する反論として、「生きてゐる画家」と題した文章を同誌4月号に投稿。翌年には、代表作のひとつである《立てる像》を発表した。薄暗い街の中で背筋を伸ばし、どこかを見つめて仁王立ちする青年の姿には、時代に流されまいとする作家自身が重ねられているかのようでもある。

ここでは時代を見つめる思慮深さと意思を感じさせるまなざしをたたえた松本の自画像とともに、この《立てる像》につながるデッサンも展示されている。

松本が創刊した『雑記帳』(奥)、「国防国家と美術」が掲載された『みづゑ』434号、「生きてゐる画家」が掲載された『みづゑ』437号(手前)
立てる像 1941年6月 紙にインク 個人像

人物と風景が重なる、都会の生活のコラージュ

ガラス張りの廊下を抜けて新棟である山手館「夢の箱」の展示室へと進む。2012年に安藤忠雄の設計により建てられた「夢の箱」は、かつて蘭栽培で名を馳せた大山崎山荘の温室があった場所に作られている。

「街の雑踏の中を原っぱを歩く様な気持ち」(*1)で歩いたという松本。第2章「都会/郊外」では、17歳のときに盛岡から上京し、生活の場となった東京の街を題材にした作品などが展示されている。その多くが1930年代の作品となり、戦争の影響が色濃くなる前の時期に描かれた作品だ。

街の風景のなかには、行き交うモダンな装いの人々や建物などが組み合わさって描かれている。松本は人物と風景を重ね、都会の生活をコラージュするようにひとつの画面に描いた。

街の人々 1940年6月 紙にインク、墨、水彩 個人蔵
左:都会 1938年12月 紙に鉛筆、墨、木炭  個人蔵 右:都会 1938〜39 紙にコンテ、墨 個人蔵

薄い絵具を塗り重ねて描かれた深い青の画面が目を引く《街》は、1938年に「二科展」に出品された作品。ピンクのワンピースを着た女性に、靴磨きをしている男性、街の雑踏。どこかヨーロッパの街並みのようでもあるが、よく見ると馬に乗った軍人のような人物もおり、当時の社会の様相や人々の息遣いが伝わってくる。

街 1938年8月 合板に油彩 大川美術館

スケッチをもとに、自身の視点で再構築して描かれた風景画

第3章「建物」では、主に1940年代に描かれた建物を含む風景画が並ぶ。松本の風景画は、実際にある風景をそのまま描いたのではなく、街中を歩いてスケッチを重ね、アトリエで仕上げる際に風景を再構築して描いたもの。自身が街そのものに美しさを感じたのではなく、「今の、僕のメチエー(技巧)が、建物が必ず持ってゐるその線と形体に共感を得たに過ぎない」(*同上)との言葉を残している。

「松本竣介 街と人 -冴えた視線で描く-」展示風景

中井に居を構えた松本は、山手線周辺の景色を繰り返しモチーフにした。神田のニコライ堂や、水道橋、御茶ノ水付近を描いた《運河風景 a》、大崎の《大崎陸橋》など身近な風景が落ち着いた色味で描かれている。戦時下でありながら静けさをたたえた風景だが、ポツンと人影が描かれているものも多く、苦しい時代に生きた人々への視線が感じられる。

左:ニコライ堂の横の道 1941頃 板に油彩 大川美術館 ニコライ堂 a 1941年4月 紙に油彩、インク 大川美術館
「松本竣介 街と人 -冴えた視線で描く-」展示風景

横浜市を指す「Y市」の橋の風景画も複数出展されている。《Y市の橋》は横浜駅に程近い旧月見橋を描いたもの。こちらも戦況が悪化の一途を辿る時期に描かれているが、風景を映し出す川の水面は静謐で、松本の精神世界を表すようだ。

Y市の橋 1944年頃 カンヴァスに油彩 個人蔵

女性像や少年像に込められたまなざし

第4章、第5章では、松本が描いた女性像と少年像に光を当てる。

松本の女性像は、ともに雑誌制作も行った編集者である妻・禎子のほか、スクラップブックに収められた海外の雑誌の切り抜きに写る女性たちなどをモデルとして描かれた。インクや墨、鉛筆など様々な技法を用いた女性像から、線描を追求した松本の表現を見ることができる。

左:婦人像 1936頃 紙にインク 個人蔵 右:読書をする婦人 1941頃 紙にペン、墨、水彩 個人蔵
婦人像 1942 紙に墨 大川美術館

いっぽう5章の少年像で主にモデルとなっているのは、1939年に生まれた自身の次男だ。松本は長男、長女を幼くして亡くしている。

次男・莞と松本竣介 1940年頃

1945年から47年まで家族は松本と離れて松江へ疎開し、松本は1948年に他界したため、次男と過ごした時間も限られているが、多くの少年像が残されている。鉛筆、コンテ、木炭を使って描かれた《コップを持つ子ども》など、子供らしい表情と顔立ちをとらえたデッサンからは、子を見つめる父のまなざしが伝わってくる。

コップを持つ子ども 1942年12月 紙に鉛筆、コンテ、木炭 個人蔵
左:少年 1943年7月 カンヴァスに油彩 個人蔵 右:りんご 1944頃 ハトロン紙に鉛筆 個人蔵

新たな表現を模索するなかでの病、そして絶筆

再び廊下を通って本館へ戻り、最後の展示室「山本記念展示室」へ。もともと山荘の食堂だったというこの部屋は、戦後の作品で構成されている。

「松本竣介 街と人 -冴えた視線で描く-」展示風景

戦後の松本は新たな表現を模索し始めており、作風も抽象的なものへと変化した。海外の作品を目にする機会もあったそうで、第6章「構図」では、《人》などキュビズムの影響を感じさせる作品も展示されている。1948年頃に描かれた《少年》も同じ少年像ながら第5章で見てきた少年像とは異なる表現になっている。

人 1947 紙にインク  個人蔵

シンプルな線で抽象的な造形が描かれた《せみ》は、童心や純粋で素朴な子供の感覚から生まれた絵のなかに芸術性を見出した松本が、息子の絵をトレースして描いた作品だという。

せみ 1948年3月 板に油彩 個人蔵

しかし、このように新たな表現を追求していたさなかに病に冒され、1948年にこの世を去る。本展を締めくくる最後の作品《建物(青)》は、亡くなる直前に美術団体連合展に出品した3作品のうちのひとつ。絶筆となった本作には、死の予感を感じさせるような暗い扉が描かれている。松本はこの翌月に亡くなった。

松本と中学時代からの親友であった彫刻家の舟越保武は、疎開先である岩手からの旅費が工面できず葬儀に出席できなかったといい、その年の秋にこの遺作に対峙した際に「いい仕事をしろ、俺はやるだけやった」と松本の声が聞こえたと述懐している(*2)。本展では《建物(青)》と並べて、船越によるブロンズ像を展示している。

左:舟越保武 ローマの娘 1967 ブロンズ 大川美術館 右:松本竣介 建物(青) 1948 カンヴァスに油彩 大川美術館

街や人々を静かに見つめ、短い生涯のなかで詩情溢れる作品群を多く残した松本竣介。「松本竣介 街と人 -冴えた視線で描く-」は、京都の自然と昭和期の建築のなかでその作品世界に落ち着いて浸ることのできる展覧会だ。

なお、安藤忠雄の設計による地中館「地中の宝石箱」では、クロード・モネの《睡蓮》連作を常設展示しているほか、本展にあわせて松本が影響を受けたアメデオ・モディリアーニとジョルジュ・ルオーの作品を、《睡蓮》と向かい合うように展示している。

また京都の街を見下ろすことのできる本館2階の喫茶室では、本展の出品作《街》および《りんご》からインスピレーションを受けたオリジナルスイーツ「都会の詩情―青いケーキ」「田園風景―林檎のケーキ」を提供中。こちらもあわせて立ち寄ってみてはいかがだろうか。

アサヒグループ大山崎山荘美術館外観

*1──松本竣介『人間風景 新装増補版』中央公論美術出版、1990年
*2──『舟越保武全随筆集』求龍堂、2012年

後藤美波

後藤美波

「Tokyo Art Beat」編集部所属。ライター・編集者。