公開日:2025年11月18日

SIDE COREとバスで巡る、被災地・能登のいま。ビジティングプログラム「ROAD TO NOTO」が開く、きっかけとしての“道”

「Living road, Living space / 生きている道、生きるための場所」(金沢21世紀美術館)の一環で行われている能登へのビジティングプログラム。その模様をレポート

珠洲市内

石川・金沢21世紀美術館で開催中のSIDE COREの個展「Living road, Living space / 生きている道、生きるための場所」

SIDE COREの活動の軌跡と現在地を探る本展は、「異なる場所をつなぐ表現」をテーマに、「道」や「移動」を主題とした作品を中心に構成されている。美術館に「道」を開く試みとして、展示スペース内に無料エリアを設け、本格的なスケートパークも登場。さらに、展覧会の最終章「LIVING ROAD:生きている道」では、2024年元日に起きた能登半島地震後、金沢や能登を繰り返し訪れ、地域の人々と対話を重ねながら制作を続けた作品群が紹介されている。

展覧会は美術館内に収まらず、会期中に能登を訪れる機会を提供するビジティングプログラム「ROAD TO NOTO」も企画された。このプログラムは、能登半島の最先端にある石川県珠洲市と金沢21世紀美術館を「道」でつなぐことをコンセプトに据えており、参加者はSIDE CORE制作のオリジナルガイドブックを片手に様々なスポットを巡ることができる。筆者は10月に本プログラムに参加した。その模様をレポートする。

*展覧会レポートはこちら

*SIDE COREインタビューはこちら

能登を訪れる「きっかけ」を作る

能登へ向かうバスは、美術館前から出発。同乗するSIDE CORE・松下徹の案内により、「ROAD TO NOTO」のプログラムはスタートする。

バスは日本海沿いを北上し、やがて山道に入っていく。高速道路に置かれた看板や工事用の照明は、美術館で見たSIDE COREのインスタレーションに使用されていたのと同じものだ。展覧会を見た後だと、普段は気に留めない道路の細部に自然と目がいく。

車窓から見える風景

本プログラムは、発災後に能登半島の状況を気にかける人は多かったものの、インフラが大きなダメージを受け、「能登へは行けない」というイメージが広まっていたことが企画の発端になっているという。「行く機会が得られない人と一緒に行くことが重要。でも、あくまでこれは能登に行くきっかけであって、ここからそれぞれ能登半島への関わりの入り口を得てもらえたら」と松下は話す。つまり、このビジティングプログラムは観光や視察ではなく、参加者それぞれが能登との関わり方を見つけるための「入り口」として位置づけられている。

発電所に建てられた巨大な「風見鶏」

最初の目的地は、珠洲の中心的なエリア、飯田にある多目的ホール・ラポルトすず。パーキングエリアやのと里山空港での休憩を挟み、2時間半ほどかけて到着した。

ラポルトすず外観

ラポルトすずの庭には、展覧会の会期中、SIDE COREの作品《blowin' in the wind》が展示されている。本作は2023年の「奥能登国際芸術祭」で発表され、当時はここから見える山の風力発電所内に設置されていた。風力発電機は100mもの高さのある巨大な構造物だが、市民の生活圏から離れた場所にあるため、近くに行ったことがない人も多い。そこで彼らは発電機に着想を得た大きな「風見鶏」を発電機の近くに設置。山道を通ってその場に行くこと自体を作品の一部とする展示を行った。

ラポルトすずの庭に展示されているSIDE CORE《blowin' in the wind》

発電機で作られた電気は様々な地域に送られる。珠洲とほかの場所がつながっているという意味で、発電に着目したのだという。発電所も震災の被害を受けており、SIDE COREの展覧会では、新作《living road》の一部として折れた発電機の写真が展示されている。

右が松下徹(SIDE CORE)

ラポルトすずに面した飯田港も地震と津波で防波堤が破壊されるなどの甚大な被害があった。この場所にはかつて「奥能登国際芸術祭」のインフォメーションセンターとしても活用された「さいはてのキャバレー」があったが、4m近い津波を受けて建物がダメージを受け、港の復旧工事のため公費解体された。ひび割れた地面や傾いた電柱、倒れたガードレールなど、震災から1年以上が経ってもなお、その爪痕が残っている。

さいはてのキャバレーがあった飯田港
駐車場にも地割れが見られる

スティーブン・ESPO・パワーズが描くピンクと青の風景

次の目的地まで歩く道中、住宅の合間に空き地がぽつぽつとあることに気づく。これらはもともと家が建っていた場所なのだという。住宅地を進んでいくと、建物の壁に描かれたカラフルな絵が視界に飛び込んでくる。展覧会にもゲストアーティストとして参加しているフィラデルフィア出身のアーティスト、スティーブン・ESPO・パワーズが手がけた壁画だ。

住宅街で鮮やかな色使いが目を引くスティーブン・ESPO・パワーズの壁画

ピンクと青の空と海を背景に、長靴から植物のような模様が湧き出ているESPOの作品は、力強い生命力を感じさせる。作家が今夏に珠洲を訪れ、ピンクに染まる珠洲の夕方の雲にインスピレーションを受け、この風景を描いた。海の向こうには、街のシンボルでもある見附島の、震災で崩れる前の姿が描かれている。

スティーブン・ESPO・パワーズの壁画

作家のふだんの計画的な制作過程とは異なり、この壁画は即興的に徐々に描かれていった。偶然にも絵を描き終わった日は、震災後に発生した豪雨からちょうど1年が経った日で、右下に制作日とサインが入っている。作品の完成後、自分の家に描いて欲しいと言ってきた地元住人も複数いたそうだ。

作品に添えられたサインと日付

街の記憶を集積するスズレコードセンター

ESPOの壁画から数分ほど歩いてたどり着いたのは、街の記憶や記録を集積する活動を行っている「スズレコードセンター」。

珠洲や奥能登のこれからを考える参加型プロジェクト「奥能登アーカイブ」の拠点として、震災後に設立された。震災前の珠洲の街をとらえた写真の展示や保管、デジタル化を進めるプロジェクトをはじめ、センターに持ち込まれた写真や映像、文章などを預かり、未来に向けた記録活動を支援する取り組みを行っている。

スズレコードセンター

このときは、かつて港にあったショッピングプラザ「シーサイド」の展覧会が行われていた。シーサイドには、レストランや書店、スーパーなど様々な店舗が入居し、SIDE COREメンバーもよくランチなどで利用していたというが、震災で津波による甚大な被害を受け、現在は解体作業が進む。本展では地元の人々から募ったシーサイドにまつわる思い出の写真を展示。ゲームセンターで遊ぶ子供や食事をとる人々の姿、店内のポップ、雪景色の駐車場など、一人ひとりの記憶のなかにあるシーサイドが断片的に可視化される。添えられた付箋に綴られたエピソードや、食事処の箸袋、コーヒーチケット、ポイントカードといった資料からも、かつてこの場所にあった人々の賑わいが伝わってくる。

「シーサイド展」展示風景
来場者がシーサイドの思い出を付箋に書いて貼り付ける

「変化する街のかたちや昔あった景色を記録することは、東日本大震災以降、芸術における重要なテーマのひとつになっている。自分たちの作品でもそうで、記録を作ることは作品を作ることと近いと思ってる」と松下は語った。

店内ではどこか懐かしい駄菓子の販売も
2階でも珠洲のかつての風景やその変遷を知ることのできる展示が行われている

銭湯の煙突に浮かぶ大きな「わ」

さらに歩みを進めると、築35年を迎える昔ながらの銭湯「海浜あみだ湯」に到着。2021年からアーティストの新谷健太が代表を務め、新谷と楓大海によるアートコレクティヴ「仮()-かりかっこ-」が運営に携わる。

海浜あみだ湯

新谷と楓は2017年から珠洲に移住し、銭湯やゲストハウス、飲食店などの場を通じたコミュニティ作りや、地域の教育格差是正を目指す団体「ガクソー」の活動に取り組んできた。あみだ湯は、震災直後にいち早く再開し、被災で自宅の風呂が使えなくなった地元住民に解放した。公費解体される、地震で倒壊した家屋の木材などを燃料にしており、現在も1日100人ほどの利用者が集う地域の憩いの場だ。

仮()-かりかっこ-の楓大海と新谷健太

この日は煙突の上で膨らむ「わ」の文字が私たちを迎えてくれた。銭湯のボイラーから出る熱だけで巨大な「わ」の字を気球のように膨らませた作品《仮(わ)》(このタイトルはその場で新谷と楓が命名)。昔の銭湯で営業中にお湯が沸いたことを示す「わ」と書かれた板を掲げていたことにちなみ、循環の輪や、「わっと驚く」といった様々な意味が込められている。本作は「ROAD TO NOTO」プログラムの開催にあわせて膨らませる予定だというが、「“わ”が出たらみんなが、『あ、お風呂やってるんだな』ってわかるようなシンボルになれば」と今後の展示も見据えている。

海浜あみだ湯に登場した《仮(わ)》

海浜あみだ湯では、11月から被災した建物から救出した能登瓦をテーマにした展覧会「アウトサイド」が開催され、「仮()-かりかっこ-」も参加作家に名を連ねている。

豪雨被害からの復旧工事が進む大谷地区

ここまでが、富山湾に面した「内浦」エリア。ここから日本海側の「外浦」にある大谷地区へと30分ほどバスは走る。大谷地区は元日の震災に続き、9月の豪雨でも大きな被害を受けた。大規模な土砂崩れなどが発生し、現在は復旧工事が進められている。多くの家が解体され、街の風景は様変わりした。

豪雨災害からの復旧工事が行われている大谷地区

到着したのは海沿いに立つ「潮騒レストラン」。「奥能登国際芸術祭」に際して2023年にオープンしたスペースで、全面ガラス張りの窓から外浦の海を一望できる美しい建物は、坂茂が設計を手がけた。震災や豪雨の被害で休業を余儀なくされたが現在は営業を再開している。ここでは地元の食材をたっぷり使ったランチプレートをいただいた。

潮騒レストラン
地元の食材を使ったランチプレート

今回のツアーには、金沢21世紀美術館の展覧会で展示されているSIDE COREの新作映像作品《living road》に出演している坂口彩夏も同行していた。坂口は震災後、ボランティアとしてたびたび大谷を訪れるなかで、この場所に魅せられて関東からの移住を決めたが、その直後に豪雨が発生。当初は水や電気が止まって道も危険な状態だったというが、泥出しの作業などに従事し、その際にSIDE COREのメンバーと出会った。

俳優でもある坂口は「この被災地と呼ばれる場所で、どういうふうに表現が存在できるかということはつねに考えていた」と語る。震災前、この地域には演劇部があり、地域のコミュニティのための演劇が存在していた。その楽しそうな様子もこの地に移住を決めた理由のひとつだったという。「大谷の人はそれぞれが表現者である人が多い。そういう意味では、芸術とすごく近い存在」だと話す。

潮騒レストランで坂口彩夏と松下を囲む

また、坂口は泥出しで出た行き場のない泥を粘土として使えるのではないかと考えて集め、昨年に行われたビジティングプログラムのときにSIDECOREはその泥を使って美術館で野焼きを行った。同館の「積層する時間:この世界を描くこと」で展示された淺井裕介の作品にも大谷の土が使われた。「どうしようもない嫌われ者みたいなものが何かに変わっていって、それがまた大谷を支えてくれるというかたちになっていったときに、私自身も励まされた」と坂口。大谷の土は、今回のSIDE CORE展に出展された作品《はじめての築土構木》にも使われている。

潮騒レストランのガラス窓から望む日本海

500年受け継がれてきた、珠洲の塩作り

潮騒レストランでお腹を満たした後は、最後の目的地、道の駅「すず塩田村」へ。珠洲には500年以上続く伝統技法「揚げ浜式」の塩田があり、塩田村では塩作りの歴史を学んだり、塩作り体験などができる。

「揚げ浜式」による塩づくりの歴史が学べる資料館「揚浜館」展示風景

揚げ浜式は、塩田に海水を撒き、さらに濃い塩水を作って窯で煮詰める製塩法。日本で唯一、珠洲で受け継がれてきた製法で、こうして作られた塩は塩辛さが控えめで甘味があるのが特徴だ。震災や豪雨により、塩作りも一時は停止していたといい、塩田村の目の前には震災の影響で隆起した海岸が広がる。

塩作り体験ができる体験塩田。この日はあいにくの悪天候だった

施設内では揚げ浜式で作られた塩のほか、塩キャラメルなどのお土産を買うこともできる。プログラム参加者には、その場でいただく「塩ソフトクリーム」が人気だった。

こうしてすべての行程を終え、バスは3時間かけて出発地である金沢21世紀美術館に戻った。

行けなかった場所がまた来る理由になる

今回のプログラムは悪天候の影響で当初の行程が変更となり、見ることのできなかったスポットもあった。「行けなかったことで、また来る理由が生まれる」と坂口は話すが、この言葉はプログラムの性質をよく表しているように思う。今回はいずれのスポットも滞在時間は限られ、道中に気になる場所があっても決められたルートから外れることはできない。見られなかったものがあることで、再訪のきっかけが生まれる。松下は、「やっぱりいちばん面白いのは自分で歩き回って発見すること。だから理想は、展覧会や何か情報を見て、自分で(能登に)行ってみようかなってなることかなと思います」と、あくまでSIDE COREの活動や「ROAD TO NOTO」のプログラムは「きっかけ」であることをたびたび口にしていた。

プログラムの行程にはアートに関わる場所も含まれるが、何よりも実際にこの場を訪れて街を歩き、いまの能登を自分の目で見ること、そしてそれを持ち帰り考えることが重要だということだろう。被災の爪痕を目にすることも、現地で活動する人々の声や地元の産業に触れることも、行かなければわからないことは多い。同時に、たった1日バスで巡っただけでは、わかったことよりもわからないこと、知らないことのほうが圧倒的に多いことにも気づかされる。また、松下が「この道を何回も通っていくうちにあのような作品にしようと思った」と語っていたように、SIDE COREの展覧会を見た人であれば、かれらにインスピレーションを与えた「道」の様子や移動の感覚に触れることもできる。

冒頭の松下の言葉にあるように、このプログラムが提示するのは、能登についての知識ではなく、能登との関わりの入り口だ。ここから先は、それぞれの関わり方を見つけていくことになる。「ROAD TO NOTO」は今後もSIDE COREの展覧会期中、月1〜2回の開催を予定している。次回は11月23日、24日の1泊2日で実施。さらに年内は12月27日、28日にも予定されている。参加方法を含む詳細はイベントページで確認を。興味を持った人は、金沢21世紀美術館での展示とあわせて、参加を検討してみてほしい。

後藤美波(編集部)

後藤美波(編集部)

「Tokyo Art Beat」編集部所属。ライター・編集者。