日本とヨーロッパを行き来して活躍し、聖書や神話に着想を得た幻想画で知られる横尾龍彦(1928〜2015年)。その初の回顧展「横尾龍彦 瞑想の彼方」が巡回中だ。北九州市立美術館の展示(すでに終了)に続き、4月9日まで神奈川県立近代美術館葉山で開催されている(埼玉県立近代美術館でも7月15日~9月24日に開催)。宗教と芸術の間を旅し続けた横尾が、みつめた心の世界とは? 美術ジャーナリストで多摩美術大学教授の小川敦生がレビューする。【Tokyo Art Beat】
「芸術と宗教の間を往来した画家」
横尾龍彦のことを一言で表すなら、こんな言葉がふさわしいだろう。神奈川県立近代美術館葉山館で4月9日まで開かれている「横尾龍彦 瞑想の彼方」展を訪れると、作品が創り出した宗教的な空気に身を浴する経験ができる。特筆すべきは、キリスト教と禅という異なる宗教の間を渡り歩きながら、独自の世界観を絵画で表現したことだ。特に晩年の作品の前に立つと、さわやかな風を心地よく受けているかのような清々しい気持ちになる。本記事では、画家の生涯を初めて本格的に回顧したという同展を見渡しながら、横尾が旅した心の世界を追体験したい。
福岡県生まれの横尾は、1945年に東京美術学校に進んで日本画を専攻した。じつは油彩画、版画、木彫など横尾の技法は多岐に渡るのだが、専攻の理由はおそらく父親が日本画家だったからだろうと推察されている。本展図録に掲載された北九州市立美術館の小松健一郎学芸員の論考によると、横尾は東京美術学校在学中から西洋の画題や技法に惹かれていたため、指導した奥村土牛らの日本画家たちからは「そういう絵を描くのなら、油絵に行ったほうがいい」と言われていたという。
1950年に東京美術学校を卒業した横尾は、福岡県戸畑市(現・北九州市)の私立中学で55年から71年まで美術教師を務めるかたわら、二科展、新制作協会展や日本版画協会展に出品し、画家としての活動を続けている。注目すべきは、すでに日本画の世界から離れていることだろう。
本展で展示されている1960年頃の作品には自由な表現への志向が表れており、見ているだけでわくわくしてくる。当時の横尾にとって、これらの造形表現の模索は、なかなか楽しいことだったのではなかろうか。
1965年5月に横尾は渡欧し、パリとジュネーヴに10ケ月間滞在した。そして早くも7月には、ジュネーヴで個展を開いている。その際の出品作は不明というが、この渡欧は横尾に新しい世界を展開させるきっかけになったに違いない。この頃以降の作品で顕著になったと思われる幻想的な表現は、じつに興味深い。「幻想絵画の時代」の到来だ。
帰国した1966年には、個展を開いたのが東京・銀座の青木画廊で個展を開いた。半世紀以上にわたって数多く扱ってきた個性的な画廊である。当時、同画廊に横尾を紹介したのは、日本画家の加山又造だった。そんな紹介ができたのは、加山もまた旧習にとらわれない画家だったからだろう。幻想的な美術表現の研究者だった、フランス文学者・小説家の澁澤龍彦とも知己を得ており、横尾の世界はさらに広がりと深まりを見せる環境を整えていった。
この頃の絵には、宗教性や霊性を表現したものが多い。1966年に描いた油彩画《エゼキエルの幻視》のタイトルにある「エゼキエル」は、旧約聖書に登場する預言者の名前である。それにしても、何と魅力的な「幻視」なのだろう。特撮映画のワンシーンを見ているかのようである。
横尾は渡航先でシュルレアリスム(超現実主義)の影響を強く受け、「心理学の観点から無意識の発見を企てた」という。ヨーロッパにいれば宗教絵画を目にする機会はあっただろうし、聖書は旧約・新約ともある種の幻想世界を綴ったものとも言える。いっぽうで、シュルレアリスム絵画に触れる機会もあっただろう。横尾にとって宗教とシュルレアリスムとの親和性は高く、絵画のうえで幻想世界が花開いたと推察される。
横尾はもともと宗教にかなり強い興味を持っており、東京美術学校を卒業した翌年の1951年に、奈良県生駒町のプロテスタント系の神学校に進学している。宗教の世界を可能なかぎり深く知るための選択だったのだろう。ただし馴染むことができず、53年には同校を中退し、九州に帰郷する。そしてその頃、カトリック信者になっている。戸畑市で美術教師を務めたのは、カトリック系の中学校だった。神学校は中退したものの、キリスト教からは離れなかったのだ。
さて、横尾が描いたのは「宗教絵画」と言えるのだろうか。実は、この問いは、本記事でとくに重要なポイントである。たとえば、聖書の場面を描いてキリスト教の教義を説くための宗教絵画とは明らかに違う。
横尾が描いたのは、あくまでも、横尾自身の心の中の状態だったのではないだろうか。心の中が宗教で満たされているために、宗教性や霊性が描き出されるのだが、それはあくまでも横尾の画家としての表現なのである。
1975年に描いた《愚者の旅》は、横尾の心の中で展開した幻想世界を可視化した作品と捉えたい。「愚者の旅」というのはタロットカードにまつわるテーマであり、画面下部のテーブルの上には、1枚のタロットカードが描かれている。おそらく「愚者」のカードである。
横尾が描いた幻想世界は茫洋として美しい。横尾と深い交流のあったドイツ文学者の種村季弘は、『錬金術―タロットと愚者の旅』(R・ベルヌーリ著)という訳書を1972年に出している。魔術や神秘学にも造詣が深かった種村は、横尾にとってずいぶん刺激的で、世界を広げたに違いない。《愚者の旅》が描き出した幻想世界は、シュルレアリスムともまた違うように思える。横尾の心の中のリアルな世界を描き出したのではなかろうか。その細密な描写は筆者を画面の前に長く留め、見入らせた。
横尾には、のめりこんでいた日本の宗教があった。禅である。1978年に、鎌倉の三雲禅堂に参禅したのが、禅との本格的なかかわりの始まりのようだ。キリスト教とのつながりがあった中での参禅であり、ほかにも同時期にルドルフ・シュタイナーの人智学にも傾倒するなど、ひとつの宗教にとらわれることなく、それぞれの世界に深く入り込み、心の中で融合させていたと見られる。
禅が作風に表れたことを象徴するのは、禅画の重要な主題である《円相》を多く残していることだ。禅僧は、悟りや真理、宇宙などを表すために、墨で「円相」を描く。横尾は日本画に回帰したわけではなく、水性絵の具などのさまざまな画材を使って、禅とのかかわりが育んだ心を、絵画のうえで表現するようになったようだ。
禅は、瞑想と直観を大切にする宗教である。本展の図録に掲載された埼玉県立近代美術館の菊池真央学芸員の論考には、「(横尾は)まず制作にかかる前に、坐禅を組んで必ず瞑想を行う。(中略)少なくとも30分程度は瞑想を必要とした」との記述がある。心の状態を整えて制作に臨むのは、むしろクラシック音楽などの演奏家に近いあり方なのかもしれない。それは、制作をパフォーマンスとして見せることにもつながる。
《風》は、2001年に北九州市立美術館で公開制作された作品のうちの1枚だ。床に置かれた正方形のキャンバスに、横尾は大きな筆を使ったり、画材そのものを散らしたりして、即興で描いている。こうしたパフォーマンスは、たびたび滞在していたヨーロッパでも行っており、横尾の制作のスタイルのひとつだったとも見られる。横尾にとっては仕上がった絵画だけでなく、制作すること自体が重要な表現だったのだろう。
前出の小松健一郎学芸員の論考によると、「目には見えず、揺れる木々の動きなどによってのみ捉えられる風は、横尾にとって創造をもたらす霊的な存在の象徴でもあった」という。本展の会場を巡って、室内にもかかわらず風の心地よいそよぎを感じたのは、どうやら横尾の力だったようだ。
最後に、やはり小松学芸員が論考で紹介している、東京美術学校に進む時に横尾の母親が横尾に言った言葉を記しておきたい。
「人類はもう宗教と言う形態を必要としなくなって芸術がとても重要になりますから、龍彦あなたは芸術をおやりなさい」