三越劇場の天井ステンドグラス
東京の多様な建築を体験し、楽しむイベント「東京建築祭」が5月17日〜25日に開催されている。5月24日、25日には、建物の特別公開が行われる。
2024年に初開催され、のべ6万5千人の来場者を記録した「東京建築祭」。近代から現代まで様々な建築がこの機会に扉を開き、来場者は普段は入れない場所や知らなかったエピソードに触れながら、建築を通して街の魅力を再発見できるイベントだ。建物の特別公開に加え、会期中は展示やガイドツアー、イベントが各所で開催される。主催は建築史家の倉方俊輔が実行委員長を務める東京建築祭実行委員会。
今年はプログラムが大幅に拡充され、昨年の開催エリア(日本橋・京橋、大手町・丸の内・有楽町、銀座・築地)だけでなく、新たに上野・本郷、神田・九段、港区までエリアを拡大。ここでは5月19日に行われた連携企画「三越劇場見学会スペシャル~ステンドグラス編~」の模様を中心に、特別公開の見どころとあわせて紹介する。
西洋古典様式の重厚感のある建物で知られ、2016年に国の重要文化財に指定された日本橋三越本店。なかでも三越劇場は、開場当時の壮麗な姿を受け継いでいる。「東京建築祭」では、5月22日にも劇場の特別公開を行うが、それに先駆けて連携企画として行われたのが、同劇場のステンドグラスにスポットを当てた「三越劇場見学会」の特別版だ。
三越劇場は日本橋三越本店の本館6階に位置する。ロビーでは煌びやかなシャンデリアが来場客を出迎え、非日常的な世界へと誘う。この日のイベントには、三越劇場副支配人の齋木由多加と、松本ステインドグラス製作所の松本一郎が登壇し、天井のステンドグラスについて劇場内で解説を行った。
まずは自身も建築マニアだという齋木副支配人が、三越と三越劇場の歴史を説明。1673年に呉服商の「越後屋」として創業した三越は、1904年に「デパートメントストア宣言」を行い、日本初の百貨店に。1914年に現在の本館にあたる洋風建築の建物が完成。それまでの土蔵造りの建物からルネサンス様式の鉄筋コンクリート造・5階建ての新店舗へと生まれ変わった。その後、関東大震災の被害を受け、再建に際し、「建物だけでなく、文化的な復興を」という想いから1927年に三越劇場の前身・三越ホールがオープン。席数は現在の514席よりも多く、劇場内では日本初のファッショショーなども行われたという。
三越ホールは第二次世界大戦勃発により一時休館を余儀なくされるが、1946年に再開し、同年12月に三越劇場と名をあらためた。以降、歌舞伎、演劇、落語など様々な公演を行い、2027年には100周年を迎える。
建築は1927年の開場時から大切に守り抜かれてきた、ロココ式の場内装飾に彩られている。設計時に「ロココの雰囲気を味わってほしい」とした記録が残っているそうだが、実際にはロココ調を基調としつつ、アール・ヌーヴォーやアール・デコ、スペインの様式なども取り入れられているという。
舞台は中央に「三越」のロゴが入ったプロセニアム・アーチで囲まれ、両脇には翼を生やしたライオン像が。壁は大理石や石膏彫刻で彩られている。スプリンクラーや空調のための設備なども開場当時からのものだそう。
続いて、松本ステインドグラス製作所の松本一郎が天井のステンドグラスについて解説を行った。創業78年の同社は三越劇場のステンドグラスのメンテナンスを担っているほか、国会議事堂から迎賓館赤坂離宮まで、日本全国の様々な施設のステンドグラスの製作や修復に携わっている。
松本によれば、日本におけるステンドグラスの歴史は明治時代に始まる。欧化政策のもとで海外へ派遣された宇野澤辰雄が帰国後に日本初のステンドグラス工房を立ち上げ、その宇野澤の最初の弟子であった別府七郎が製作したのが、三越劇場のステンドグラスだ。
客席から見上げると、中央の凹凸のあるガラスとその周囲を囲む乳白色のガラスなど、いくつかの異なるガラスが組み合わされているのがわかるが、このステンドグラスは4段構造になっているという。中央以外は全体的にオパールセントグラスと呼ばれる陶磁器のような質感を持った半透明のガラスが使われており、表面のマーブル状の模様は1点1点違う表情を持つ。中央の8角形の部分はキャセドラルグラスと呼ばれる型ガラスでできている。
四隅は電球交換などのため開閉式になっており、この日は特別に開いた状態の様子も公開された。こうした劇場の裏側を間近で見られるのも本イベントの醍醐味だ。
またガラスの丸みや角にあわせて縁取る真鍮部分にも注目。松本は「ステンドグラスもさることながら、真鍮の加工技術がものすごい。どうやって作ったんだろう」と話す。トークでは、ガラスの垂れ下がりや破損、欠損、真鍮枠の金属疲労など、メンテナンス面での今後の課題についても述べられた。
劇場ロビーでは、ステンドグラスの製作に使われる工具を展示。松本ステインドグラス製作所で使われているガラスを切るための道具や様々な太さの鉛線などが並べられたほか、ステンドグラスの色見本も見ることができ、職人たちのリアルな作業現場の空気に触れることができた。
さらに三越劇場のステンドグラス製作と同時期に、同じ別府七郎によって作られた旧逓信省簡易保険局のステンドグラスが展示された。東京・三田に建設されたこの施設はすでに解体されているが、現存当時から建物の内部が公開されることは少なかったという。植物を思わせる曲線や美しいレンズが嵌め込まれていることなど三越劇場のものとデザイン面で類似する点も多く、「三越劇場との関連性を疑わずにいられない」と松本。
イベントでは、建築ファンが集まる「東京建築祭」らしく来場者からも熱量高い質問が飛び交った。ステンドグラスを見る際のポイントを尋ねられた松本は、「ステンドグラスにはデザインのポイントになるものがある。三越劇場であれば、『これは貝殻や葉っぱなのかな?』など、デザインモチーフを紐解いていくと、違った見え方がすると思います。なぜこの色を使ったのか、なぜ透明のガラスを使ったのかなど、材料にも注目するのも面白い。海外では聖人にまつわるモチーフなどもあるので、そういったものも見ていくと、“きれい”だけじゃないステンドグラスの魅力を感じることができると思います」と話した。
劇場は2年後に100周年を迎える。最後に齋木副支配人は「ステンドグラスをきれいだと言っていただくのは我々の喜び。でも当たり前のようにあるステンドグラスもじつは当たり前ではなく、建物を管理してくれている人や修繕をしてくれている人、スタッフ、職人さんなどあらゆる人の『次世代へつなごう』という想いで残っている。技術の伝承もやはり課題だと思う。大切な空間には、表に出る人だけでなく、たくさんの裏で頑張っているスタッフがいるということを今日は感じていただければ」と呼びかけ、イベントを締め括った。
ふだんは演劇を見るために訪れる空間だが、この日は時間をかけて内部をじっくりと見学することができ、参加者たちもカメラを片手に壁や天井に見入っていた。日本橋三越には劇場以外にも同店を象徴する中央ホールや外の地下鉄入口にステンドグラスが使われている。こうした細部の歴史や背景に触れると、何気なく訪れている商業施設も見え方が変わり、より身近なものとなるのではないだろうか。
なお5月22日に行われる三越劇場の特別公開は、順番待ちでの申し込みとなるため、参加を考えている人は公式サイトで確認してほしい。
「東京建築祭」の最大の見どころは、なんといっても普段は一般の人がに立ち入ることのできない建築や場所が無料で特別公開される点にある。今年も多くの建物が扉を開く。
たとえば三越劇場と同じ日本橋・京橋エリアでは、三越の隣にある「三井本館」や、かつて渋沢栄一の邸宅があった場所に建設された「日証館」などが特別公開の建築にラインアップ。
大手町・丸の内・有楽町エリアでは、古典主義建築の最高傑作とも呼ばれ、国の重要文化財に指定されている「明治生命館」が、普段は非公開の7階講堂を特別に公開する。また、「明治安田ヴィレッジ丸の内」では、重要文化財である明治生命館の大型石膏模型や、古典主義の象徴である植物モチーフなどの資材、建築資料が並ぶ特別展示を行っている。
隣接する銀座・築地エリアでは、現存する数少ない復興小学校のひとつである「泰明小学校」や、様々な地域の建築様式が組み合わさった独特の建築で知られる「築地本願寺」などが公開に。ガラス張りのファサードを縁取る縦枠「マリオン」が特徴的な「有楽町マリオン」では、40年前の建設風景や開発前の街並みを記録した写真の展示を行なっているのであわせて訪れたい。
さらに今回から規模を拡大し新たに加わったエリアである上野・本郷・湯島エリアでは、明治31年(1898年)創業で戦後に旅館に改築された木造建築「鳳明館」の内部を見ることができる。また前川國男設計による「東京都美術館」の旧野外彫塑室や、「東京国立博物館」本館奥にある日本庭園の茶室、内田祥三設計による「東京大学 理学部2号館」の4階講堂などの特別公開にも注目だ。
神田・九段エリアで特別公開される「旧近衛師団司令部庁舎」は、赤煉瓦の重厚な外壁と八角形の塔屋が特徴的な建物で、1910年に建設された。その後、谷口吉郎の設計によって改装され、東京国立近代美術館工芸館として2020年まで開館していた。工芸館の移転以来、一般には非公開になっていたが、今回は特別に1階エントランスホールや階段、2階休憩室に入ることができる。
港区エリアでは、福沢諭吉の思想をいまに伝える「慶應義塾 三田演説館」や、「ウォーターズ竹芝」の「竹芝干潟」などがラインアップしている。
日常に溶け込んだ建築にあらためて目を向け、街の魅力や記憶を再発見できる貴重な機会。マップを片手にいつもと違った街歩きを楽しんでほしい。特別公開は順番待ちの申し込みが必要な場所も多いため、公式サイトで事前に確認を。