左から:大坂紘一郎、ブブ・ド・ラ・マドレーヌ、嶋田美子
3月15日から5月10日まで、オオタファインアーツ(東京)で開催中のグループ展「CAMP」。「スタイルのやりすぎた誇張、ものや人々のなかに見出せる人工性」を意味する「キャンプ」をテーマにした本展で、嶋田美子とブブ・ド・ラ・マドレーヌが28年ぶりのコラボ作品を発表した。制作したのは、「明治時代をクィアする」錦絵のすごろく。近代化を進め、帝国主義を築いていく日本の様子をドラァグクィーン/キングとなったふたりがパロディーした作品だ。
ここでは、嶋田とブブ、そして展覧会のオープニングトークにゲスト出演した大坂紘一郎(キュレーター、ASAKUSAディレクター)による鼎談の様子をお届け。キャンプの概念や現代までつづく帝国主義、手法としてのドラァグやパロディーについてなど、本展を起点に語り合った。
※Tokyo Art Beat公式YouTubeチャンネルにて動画も公開中
──今回の展覧会のテーマである「CAMP(キャンプ)」は、スーザン・ソンタグが1964年に著した「“キャンプ”についてのノート」で広く知られるようになった概念です。展覧会のステートメントでは「スタイルのやりすぎた誇張、ものや人々のなかに見出せる人工性」と説明されていますが、まず、「キャンプ」とは何か、みなさんにとっての「キャンプ」はどのようなものかというところからお話をお伺いできたらと思います。
大坂:「キャンプ」は、「芝居がかった演技」や「演劇的な仕草」といった意味で、オスカー・ワイルドは「誇張された行動や仕草」というふうに言っています。ただ、今回の展覧会はスーザン・ソンタグが背景にあると思うのでソンタグも読んでみたのですが、なんかしっくりこないところもあって。
嶋田・ブブ:うんうん。
大坂:ソンタグは、あえて「スタイル」や「様式」と言っていて、そこに直接的な政治的な意図はないと考えているのですが、「ない」と言ってるだけであって、どう見てもある。語源をたどると、フランス語の「pose」や「posture」からきているので、そういう意味では「様式」というのは正当な解釈だとも思うのですが、(政治的な意図は)ありきで考えたほうがわかりやすいんじゃないかなと思っています。また、アート作品に引き付けて言えば、チープな素材を使うということはキャンプのテクニックのひとつで、それは現代にも引き継がれているものだと思います。
それから、ソンタグは言及していないのですが、僕はゲイボーイとして育ったコミュニティのなかで、キャンプのキャラクターにすごく守られたと感じるんですね。キャンプは自意識過剰で自己愛的な表現と言われるけれども、そう見えるだけでじつは他者に対する思いやりやケアと一体化している。だから、スタイルの表現だけではなく、クィアコミュニティのなかでキャンプが果たしてきた役割も認知しても良いんじゃないかと思います。
──嶋田さん、ブブさんも、ソンタグの解釈にしっくりこないというお話に頷いていらっしゃいましたね。
嶋田:私はソンタグを読んだことがなかったので一昨日に貸してもらって読んだのですが、つまらなくて途中で寝落ちしてしまって(笑)。次の日に全部読みましたが、やはり1960年代に書かれたものなので、現代の視点で考えると、ちょっとoutdated(時代遅れ)な感じがしました。ジェンダー・スタティーズやセクシュアリティ・スタティーズが出てくる前の時代ですから、「ホモセクシュアリティ」と言ったときゲイ男性のことだけなんですよね。サンプルも男性で、男性が作ったもの、観客も男性しか想定してないんだろうなと思って、フェミニスト的な視点から言いますと、とても違和感がありました。
また根本的には批評的な概念で、「最初からキャンプを意図的にやっているのは劣った作品だ」というようなことも書いてあるので、作家としては非常に「キャンプ」と言いにくい。今回の私たちの作品は、「キャンプ」というテーマありきで始まったわけではないですが、そう言われてしまうと作家側からキャンプを語りにくいなと思いました。
大坂:(ソンタグは)ソーシャルなコンテクストから語るという立ち位置ではなく、文芸批評なんですよね。だから視線がすごく高尚なんです。
ブブ:それは私も感じました。私は最近、フェミニズムでもアートでも、アカデミズムやテキストで読むということ自体をつまらなく感じてしまっていて。その理由のひとつは無力感です。日本においてですが、自分が1990年代に散々やってきたことが、現在でも何度も語られていて、まだ変わらないのか、まだそこからですか、と。もちろん若い人には繰り返し同じメッセージや情報が必要だというのはわかります。でも、とりわけ政治がまるで変わらず、同性婚はまだですか、夫婦別姓はまだですか、というところから取り組まなくてはいけないことに対する無力感があります。
同時にそれはアカデミズムの言葉、あるいはひょっとしたらアクティビズムの言葉で語ることの、ある種の限界というか。アカデミズムやアートやアクティビズムは、つねに前の時代の批判から始まり、どんどん更新していかないといけないはずなのに、とくに日本においては一世代前のルールを踏襲するというお行儀の良さみたいなものが、コロナ以降顕著だと感じています。
ブブ:キャンプについて言うと、大坂さんがクィアコミュニティのなかで、キャンプのキャラクターや概念に守られてきたとおっしゃっていましたが、日本のクィアコミュニティはまだまだ男性中心だと思うんですね。だから私は最初はシスヘテロ女性として自分はクィアではないと思っていたのですが、自分が居心地の良い場所を探していくと、そこにはゲイ男性とクィア女性しかいなかった。私はゲイ男性コミュニティに育てられたと思っていて、そこにいると「あなたはクィアでキャンプ的だ」って言われることが多かったんです。そこで「ブブ」という名前を与えられたり、「あなた自身で良いんですよ、あなた自身で十分変ですよ」って言われたのは、ある種ケアを受けていたんだと思います。「変」って褒め言葉ですよね。私自身で十分変で価値があるということを教えてくれたのはクィアコミュニティですし、私自身の在り方が十分キャンプやからって肯定されるのは、他者の思いを通して自分を肯定するプロセスでした。
だから評論などで「クィアとは」「キャンプとは」と言われると、自分がやってきたことを後から解説されるような感覚です。名付けは色々あるけれどそれは私の知ったことじゃなくて、私のやってきたことをそう名付けるとわかりやすいんだったら、そう呼んでください、という感じかな。
──嶋田さんはご自身の創作活動と、キャンプやクィアな感性とのつながりはどのようにとらえていますか。
嶋田:私たちの「ブブ+嶋田」というユニットの成り立ちからお話するとわかりやすいと思うのですが、私は1990年代からフェミニズムの作品を作っていて、1995年にトロントで大きな日本展があった際にダムタイプで呼ばれていた古橋悌二さんと仲良くなって、「日本に帰ったらぜひブブさんに会ってください」と言われました。その直後に悌二さんがお亡くなりになって、悌二さんの遺言のようなかたちで、京都にブブさんに会いに行ったんです。
私は東京ではあまりクィアコミュニティとの接点がなかったんですけれども、1990年代の京都は東京とはかなり違っていました。東京ではゲイ男性のコミュニティが別個のものとして存在していたのですが、京都では女性やゲイでない男性がドラァグクイーンをやっていたり、色々な変な人が集まっているコミュニティがあって、そこで初めてドラァグクイーンなどのカルチャーに接しました。
その少し前に私はボストンにいたのですが、公園に落書きで「Queer Nation」って書いてあったんですね。「クィア」って「変態」っていう意味じゃないですか。それまではどこかネガティブな言葉としてとらえていたのが、それを政治的にとらえて自ら名乗っているんだと知りました。そういった1990年代のムーブメントやエイズ国際会議などのことが、京都でブブさんに会ったことでもっと身近なものになり、クリアになった。そこでせっかくだから何か一緒にやりましょうと、ふたりで作ったのが1998年の「メイド・イン・オキュパイド・ジャパン」です。
嶋田:私の出身地である東京・立川市は、長いあいだ米軍基地でした。私はそれまで、戦争責任問題や「慰安婦」問題について考えていたのですが、「メイド・イン・オキュパイド・ジャパン」では戦後の問題を考えようと、基地売春を扱いました。たんに「基地売春は悪いことですね」というとらえ方ではなく、多面的な表現ができないかと考えていたのですが、そのときにブブさんはセックスワーカーの権利問題に取り組んでいらっしゃったので、過去と現在をつなげようということで、彼女が基地売春婦のドラァグクイーン、私が米兵のドラァグキングになり、その写真やビデオをコラージュにする作品を制作しました。今回の展覧会はその第2弾です。
なので、私はずっとクィアコミュニティで活動していたわけではないですが、ブブ+嶋田だと、自分のクィアネスを存分に発揮できる。
ブブ:1998年も今回も、嶋田さんのメイクや写真を撮るときのポーズを私が手伝っているのですが、嶋田さんは兵士になってもエンペラーのような人になっても、どうしてもへなちょこ感がぬぐえない(笑)。それが本当に素晴らしいと思っていて。頑張って兵士に見せようとしているけど、その人の肉体はどう立っても、どう座ってもその人になってしまう。そのギャップに泣けるときもあれば、笑えるときも、魅力的に見えるときもある。人が何かになろうとしたときに、その人の肉体や身についた習慣、ジェンダーやナショナリティ、エスニシティ、もしくは家族などを含むにじみでる何かがあって、そこに意識的であることや、それを戦略としてとらえるのがキャンプなのかなと思っているんです。
今回の作品では、嶋田さん扮するへなちょこ兵士のコラージュがあちこちにあるんですけど、それは嶋田さんでしかできない兵士で、それが超最高やなと思っています。それをお互いに指摘し合うという制作プロセスでしたね。
大坂:ジェンダーもそうですが、40代日本人男性であることや、人格、顔などはすべてバラバラな属性で、(何かになろうとしたときに)それが全部一致するってありえない。だから全部ちょっとずつズレるんだけど、そのズレを引き裂いていくほうが良いですよね。
ブブ:それを誰が何のために引き裂くかなんですよね。そこが最終的に政治的になっていくかもしれないのですが、最初は「面白いから」とか、「嶋田さん、そのへなちょこの立ち方のほうが良いです」って褒められたりとかすることがきっかけだったりもして。大坂さんがおっしゃっていたような自分のいくつかの属性に意識的であること、つまり消費されないようにやり返すということを私はゲイコミュニティのなかで学びました。
大坂:僕は昨日、着物のレンタルに行って、80歳のおばあさんがふたりでやっているお店で着付けを教えてもらったんですが、おばあさんが「かわいいね、いいね」ってすごく褒めてくれるんですよ。それでなんか楽しくなっていくという感覚はありました。
ブブ:褒められるって不思議ですよね。想像以上に効果がある。私自身は「褒める」って煽りだと思っているんですよね。自分が目指す社会の仲間に引き入れるために、その人の良いところを引き出して煽る。「この戦線に加われ」みたいな感じで。
嶋田:オルグする(笑)。
ブブ:そうそう、「褒める」って昔の言葉で言えばオルグだと思う。目指す世界のほうに「こっち来いや」みたいな。
──今回発表された新作《明治怒羅亜愚反帝戯画双六》は、おふたりがドラァグ・クイーン/キングとして明治期の様々な人物をパロディーした錦絵のすごろくで、黒船来襲、明治維新、脱亜入欧、日清・日露戦争、とマスが進んでいき、帝国主義を築いて上がりとなります。なぜ、明治時代をテーマにしたのでしょうか。
嶋田:もともとキャンプ展ではなく、昨年5月頃にふたりで何かやろうというところから始まったのですが、当時私たちがいちばん頑張っていたのが、ガザの反戦でした。そのなかで、この平和な日本で、「私たちは平和を求めます」というような反戦運動の仕方がすごく嫌で。入植者植民主義はガザだけで起きていることではないし、日本もやっていたのに、その視点が欠けているのではないかとずっと思っていました。それで歴史をたどってみると、武力に頼った帝国主義や植民地主義が始まったのは、日清戦争や明治維新あたりなんです。
ブブ:日清戦争というキーワードが出てきたタイミングはもうひとつあります。私は2013年頃から日本におけるヘイトスピーチに抵抗するカウンター活動に参加していて、いまの日本にある朝鮮半島や韓国人、中国人に対する見下げるような感覚がどこから生まれたのか、ということに関心を持っていました。
3〜4年前に京都のウトロ平和記念館に行ったとき、在日コリアンに対する差別に関する資料展示を見たのですが、その時系列のいちばん最初が明治時代、もしくは日清戦争だったんです。その時代に日本がヨーロッパの真似をして、「うちも植民地を持たなくちゃ」という気持ちが盛り上がって、それまで仲良くしていた朝鮮半島や中国を侵略し始めた。明確にここから始めますというふうになっていて、それにすごく衝撃を受けました。あ、このあたりからなのか、と。
その資料が錦絵だったんです。「こうやって朝鮮半島や清を侵略しました」と勇ましく描かれていてグロテスクだと感じたけれど、絵はケレン味があって美しいとも感じました。それを見て、日本ってイスラエルと同じやん、パレスチナがかわいそう、とか言うてる場合じゃないよね、と。そこから、パレスチナのことを考えるということは、明治時代を考えるということ、明治時代といえば、森下仁丹(*1)。ナポレオンみたいな帽子をかぶって髭を生やした森下仁丹のあの図は何? と構想が広がっていきました。すごろくにしたのは、嶋田さんのアイデアです。
嶋田:錦絵は日清戦争を描いたものがいちばん多いのですが、有名な浮世絵師や版画の先生などが原画を描いていて、すごく受けていたんです。でもそれを描いた人たちは一切現地には行っておらず、想像で作られているので、日本兵は馬に乗って刀で斬りまくるヒロイックな姿で描かれているいっぽう、中国人や韓国人は文明化されていないカッコ悪いキャラクターとして描かれていました。それまでは一般庶民が清国民や韓国民を差別視するということはそんなになかったと思うのですが、ここですごく差別的な表現が広まったんです。
ブブ:先日、広島の呉で江戸時代に朝鮮から来た使節団の絵巻を見たのですが、朝鮮人は賢くてかっこよくてモダンな、先進的な人たちとして立派に描かれていました。その転換がどのような欲望で起きたのかというと、西洋っぽくなりたいということですよね。
嶋田:教科書では、「明治維新で日本は素晴らしくなりました」と書かれていて、図像も無血開城などのものが使われているのですが、戊辰戦争があって、白虎隊は全員虐殺されている。すごろくでたどっていくとわかりますが、教科書にあるようなピカピカの明るいものではなく、明治維新って結局は最初から最後まで戦争と植民地支配なんですよ。でもそれをそのまま言ってもたぶん誰も見てくれない。
ブブ:だからこのすごろくはある意味、日清戦争が何かを伝える教科書でもある。それをシリアスに見せるのではなくパロディーで見せることで、左翼的、右翼的あるいはアカデミックなことに飽き飽きしている人たちにも「これ、なんやろ」って思ってもらえる魅力で惹きつけるという対抗表現だと思うんです。それで戯画という表現になったんですよね。
嶋田:それと明治時代の人が鹿鳴館でドレスアップしたりしていた馬鹿馬鹿しさですよね。明治時代自体がハリボテでドラァグだと思うんですけど、それをもう一回ドラァグする。装っているのを装うことによって、その装いの馬鹿馬鹿しさみたいなものが露呈されるのではないか、ということです。
ブブ:私たちの歳を重ねた60代の女性にしかできない厚みみたいなのものを、「30年前とはお肌が全然違うよね」って笑いながら作るのは楽しかったですよね。
嶋田:いまの若い子たちがやってるドラァグクイーンって美を追求しちゃうけど、それは最初から私たちの眼中にないので(笑)。
ブブ:それはある意味、コスメとお洋服が売れるための資本主義的な美の基準やから。ドラァグクイーンというのはそもそもそれを壊してパロディ化するところから来ているので、そこは楽しかったですよね。
──すごろくと並んでドールハウスの作品《鹿鳴館鷲鷹鵄乃雛庭園》も展示されています。ドールハウスの下には卵が置いてありますが、卵と鳥は何を意味しているのでしょうか。
ブブ:今回、すごろくの制作とディレクションは嶋田さんで、私は何をしようと思ったときに直感的にドールハウスを作ろうと思いました。最初は日清戦争だから日清チキンラーメンということで、ひよこがいっぱいいたら、ひよこをグッズにして売れるんちゃうかと(笑)。でも調べたら日清戦争と日清チキンラーメンの会社は関係がないと会社が言っていることがわかりました。それでも雛が作りたくて。
明治時代の男性の肖像って勲章をいっぱいつけているんです。勲章はアメリカなら鷲、ドイツなら鷹と猛禽類がモチーフになっていて、さらに調べると日本には金鵄勲章という金の鵄(鳶)の武人勲章があったとわかりました。神武天皇の杖に鳶もしくはヤタガラスがとまったという神話があって、そこから日本は鳶を勲章にしていました。この作品は、そのような鷹や鷲や鳶になりたい雛たちがうごめく鹿鳴館というイメージです。「餌くれ、餌くれ」って口を開けている雛たちの姿は、何か正しいものを求める人間の剥き出しの貪欲さのようなものが表れていると思って、勲章に憧れている雛たちを作りました。
ブブ:これは『みにくいアヒルの子』の逆バージョンで、たくましい鷲に憧れたけど成長したらダチョウだったとか、現代でも自分がまだ何者になるかわからないけど、ファシズムに憧れてみようというふうに成長していく子もいるかもしれない。何かに憧れるけど何になるかはわからないということを表現しています。ドールハウスの下に卵があるのは、鹿鳴館の地下がそのような雛たちのインキュベーターであるというイメージです。
嶋田:あれは鹿鳴館の地下なんだ(笑)。
ブブ:そう、地下です。鹿鳴館的な文化がそういうものを醸成しているという意味で、現代に置き換えて考えてください、というすごく無理筋なんですけど(笑)。
──大坂さんは作品をご覧になっていかがでしたか。
大坂:まずいちばん最初に思ったのは、ブブさんが渋沢栄一に似ているという破壊力(笑)。正体はわからないけど圧みたいなものがあって、かなり衝撃的で。
嶋田:展覧会についてのオンラインミーティングで「富国強兵といえば渋沢栄一かな」って話していたら、ブブさんが自分にライトを当ててほうれい線を描いて、そしたらもう渋沢が降りてきた(笑)。
ブブ:10分くらいでね。1万円札を見ながら、たまたまそこにドーランがあったので塗りながらオールバックにしてみたら爆笑で。
嶋田:雰囲気的にも、渋沢がそこにいるという感じでした。
ブブ:それは自覚があって。「メイド・イン・オキュパイド・ジャパン」では昭和天皇に扮したのですが、シスヘテロ女性としてヘテロ男性に対する愛憎があるんですよね。おっさんに対してある種の憎しみもあるけど、それに惹かれてしまうどうしようもなさがあって、その葛藤が現れるんじゃないかな(笑)。
──そうやってパロディーを用いてコミカルに表現するというのは、さきほどブブさんがおっしゃっていたアクティビズムやアカデミズムの言葉で語ることに対する限界や無力感も背景にあるのでしょうか。
ブブ:そうですね。アカデミズムやアクティビズム自体に限界があるとはまったく思っていないのですが、その手法をどんどん更新していかないと。過去に成功した様式にすがって、のぼりを立てたり動員をかけたりすれば人が来るという時代ではないし、いまの10代20代が何にグッときているのとなったら、やっぱり資本主義に負けているわけですよね。TikiTokやSNSなどは、手軽だしわかりやすくて楽しいから人々はそこにいく。SNSが全部悪いとは思わないですが、資本主義の手法に学ばなければならないところはあるし、旧来のアクティビズムもアカデミズムも「正しいから受け入れられるんだ」と、ちょっとあぐらをかいている気がしています。
人間は正しさで動くのではなく、楽しいことのほうにいくと思うんです。だから本当にジャスティスやイクオリティを目指すのであれば、そっちがいかに楽しくて魅力的かを示さないと。それは、ニューヨークのエイズアクティビズムに学んだことですね。ACT UPなどはやっぱりかっこよかったし、それはアートの手法にも通じるというか。いかに魅力的でありつつ、国家権力をすり抜けるかの試行錯誤っていう感じかな。
大坂:トランプってある意味キャンプじゃないですか。誇張しているし、アイロニーがあって。不条理さも演劇的なスペクタクルもある。
ブブ:うん、パロディーしやすいですよね。すでに日本では、小型のトランプやイーロン・マスクのようなチープなファシストがたくさんいて、それがすごく人気を集めている。
大坂:それって19世紀的な「アメリカ版富国強兵」時代の価値観をすごくキッチュにパロディーした政治劇場ですよね。成功体験のなかに過去を振り返る欲望が根を張っているということだと思うので、やっぱりそこをもう一回ちゃんと笑い物にするというのはすごく大切だと思います。キャンプの「挫折した真面目さ」が笑いを誘うとソンタグも言っていますが、笑い者のはずだったトランプがそのままホワイトハウスに行ってしまった。かつての文化的抵抗の手段がきょうびどのように応用され実際の政治にあらわれているのか。この作品ではその変遷を思わせながら、実際は巻き戻しができない歴史の「すごろく」というかたちをとっていますが、トランプしかり、イスラエルしかり、いまの時事的な政治状況を言外に踏まえて、そうした問題の根源を歴史を振り返ってつき刺していくところに今回の展覧会の鋭さがあると思います。日本だとそれが明治維新だったりするということですね。
ブブ:そうですね、イギリスは女王様をちゃんと笑い者にしたし、サッチャーをボコボコにしたし。イギリスはパロディーの王国だと思うので、それが民主主義であるっていうことは学ぶべきことだと思います。
大坂:鹿鳴館も当時から絶対におかしかったはずじゃないですか。ヨーロッパの大使からすると、突然日本に来てみたら、「西洋」のテーブルマナーのリハーサルとかをやっていて、それっぽい身なりをしていて。全然その文化に則っていないのにやっているというのは確実にキャンプ的ですよね。ど真面目にやっているけど、笑いものになるっていう。
嶋田:ジョルジョ・ビゴーが描いたスケッチがあるのですが、当時人員が足りなくて芸者さんとかを無理やりに洋装させてダンスさせていて、嫌になった芸者さんたちが外でキセルを吸っている(笑)。本当にハリボテで、外から見たら当時だって変だったと思います。
大坂:コスプレですもんね。
嶋田:そうそう、「自分の思う西洋」みたいな。当時の日本や列強にあった、なりふりかまわず資本主義と軍国主義でとっちゃうぞっていう臆面のなさや、それをいけしゃあしゃあと言っちゃうことがカッコいいというのは、本当にいまと似ているのではないかと思います。少し前だったらトランプなんて変だから笑い物にしておしまいだったのに、実権を握っちゃったし。キャンプに話を戻せば、ある種の俗悪さというものがいま有効なのかな。
*1──明治時代からつづく医薬品製造企業。大礼服を着た男性の絵がトレードマーク