公開日:2025年9月14日

国際芸術祭「あいち2025」レポート【愛知県陶磁美術館・瀬戸市のまちなか】陶の街から響く、時間や場所を超えた多様な声

国際芸術祭「あいち2025」が9月13日〜11月30日に愛知県で開催されている。会場別に2本のレポートをお届け。本稿では愛知県陶磁美術館と瀬戸市のまちなかエリアの見どころを紹介する

アドリアン・ビシャル・ロハス 地球の詩 2025

国際芸術祭「あいち2025」が9月13日に開幕した。

2010年から3年おきに開催されている国際芸術祭「あいち」。6回目を迎える今回は、フール・アル・カシミを芸術監督に迎え、「灰と薔薇のあいまに」をテーマに掲げる。国内外から62組のアーティストが参加し、現代美術展やパフォーミングアーツの公演、ラーニングプログラムなどが展開される。

会場は、愛知芸術文化センター愛知県陶磁美術館、瀬戸市のまちなかの3エリア。ここでは、9月12日、13日に行われたプレスツアーから、瀬戸市にある愛知県陶磁美術館および瀬戸市のまちなかエリアの見どころを紹介する。

*愛知芸術文化センターのレポートはこちら

愛知県陶磁美術館:陶と土が紡ぐ人々の経験や歴史の連なり

瀬戸市は、「せともの(瀬戸物)」の語源にもなった国内最大級のやきものの産地。緑豊かな丘陵地に建つ愛知県陶磁美術館は、国内屈指のコレクションを誇る陶磁専門のミュージアムだ。愛知芸術文化センターからは電車で約1時間ほどで行くことができる。

「あいち2025」では、2025年4月にリニューアルオープンした谷口吉郎設計の「本館」をはじめ、「デザインあいち」、陶芸体験施設「つくるとこ陶芸館」、茶室「陶翠庵」、芝生広場などで、13組のアーティストが作品を展示している。

本館には、エレナ・ダミアーニ、ワンゲシ・ムトゥ、マリリン・ボロル・ボール、ヤスミン・スミス、西條茜、シモーヌ・リー、シモーヌ・ファタル、チャヌーパ・ハンスカ・ルガー、永沢碧衣、Barrack(古畑大気+近藤佳那子)が出展。つくるとこ陶芸館にはハイブ・アース、デザインあいちには加藤泉、茶室には大小島真木がそれぞれ作品を発表している。

なかでも注目は、2022年のヴェネチア・ビエンナーレで黒人女性として初めて金獅子賞を受賞したシモーヌ・リーの作品群だ。リーはアフリカのディアスポラの伝統的な陶芸技法を用いながら、黒人女性の経験や主体性を中心に据えたスケールの大きな表現を展開している。

奴隷貿易の際に通貨としても使われたタカラガイのモチーフを取り入れた《壺》は、19世紀に奴隷や奴隷から解放されたアフリカ系アメリカ人の職人によって作られた顔付きの水差しを再解釈したブロンズ彫刻。陶で作られたタカラガイのスカートを纏った女性像は空間の中央で力強い存在感を放つ。さらに作家は、アフリカの熱帯地域に分布する天然素材ラフィアを使って、黒人解放運動に深く関わったフェミニストの詩人ジューン・ジョーダンに捧げるタワーを制作。黒人女性による知と芸術、抵抗の時間の連なりが立ち上がる空間を作り出した。

シモーヌ・リー 壺 2024
シモーヌ・リー 無題 2025
芸術祭に関連して、愛知県陶磁美術館のコレクションから三島喜美代の《時の残骸 90》も特別展示されている

本館全体を通して目を引くのは、陶器や土を素材とした女性作家の作品が多く並んでいることだ。作家たちの多彩な背景から生まれた様々なアプローチに触れることができる。

入口を入ってすぐのロビーに横たわるのは、全長約9.5メートルの《眠れるヘビ》。黒人女性の体験を軸としたアフロフューチャリズム的表現で知られるケニア出身のワンゲシ・ムトゥによる作品だ。腹部の膨らんだ長い胴体の先に青い陶製の頭部が付けられ、瓶や壺など様々なオブジェに囲まれながら眠りについている。膨れた腹は何を意味するのか、ヘビの眠りは安らかなものなのか。見る者の想像力を刺激する作品だ。

ワンゲシ・ムトゥ 眠れるヘビ 2014-2025
ワンゲシ・ムトゥ すべてを選んだ果てに 「あいち2025」における展示空間への介入 2025

やきものと身体の新たな関わりを探る西條茜は、瀬戸でのリサーチを重ねて、この地に特有の「労働と身体」の関係に着目した。会期中は絨毯の上に置かれた作品を移動させるパフォーマンスが繰り返し行われ、絨毯に残る移動の痕跡が労働や協働の積み重ねを可視化する。

西條茜 シーシュポスの柘榴 2025

グアテマラを拠点とするマヤ・カクチケル族のアーティスト、マリリン・ボロル・ボレールの作品《水はコンクリートになった──〈山が奪われセメントがもたらされた〉シリーズより》は、作家の故郷で行われたセメント工場の開発により地元住民の水源が断たれたという出来事を背景としている。先住民が日常的に使う壺からセメントが流れ出し、先住民女性たちの肖像を描き出すこの作品は、代々大地を守り続けてきた名もなき人々に捧げるものでもある。

マリリン・ボロル・ボレール 水はコンクリートになった──〈山が奪われセメントがもたらされた〉シリーズより 2023/25

陶や土を素材とした作品ばかりではない。マタギ文化に関わり、自ら狩猟者としての経験を積む永沢碧衣は、人間と生き物の共生をめぐる作品を発表。害獣問題なども抱えるクマをモチーフに、クマの皮から抽出した膠を使って日本画の技法で描いたクマの絵画を展示している。

永沢碧衣 共鳴 2023

愛知県陶磁美術館では、広い敷地を生かした屋外展示も注目だ。デザインあいち前の庭にぽっかりと空いた四角い穴は、ガーナを拠点とするスタジオ、ハイブ・アースと芸術祭のラーニングプログラムとのコラボレーションによるプロジェクト《凸と凹》の「凹」部分。ここから掘り出された土が版築技術で固められ、つくるとこ陶芸館中庭に「凸」として展示されている。「凸」は陶芸館の営みを裏側から眺めるスタンド席として作られており、実際に腰掛けることも可能だ。作品の一部には瀬戸少年院の少年たちが手がけた版築ブロックも使われている。会期終了後はベンチが解体され、「凹」の穴に埋め戻される予定だという。

ハイブ・アース 瀬戸の版築プロジェクト「凹」 2025
ハイブ・アース 瀬戸の版築プロジェクト「凸」 2025

さらにデザインあいちでは加藤泉が建物全体を使った展示を行っている。外光が差し込む明るい展示室には、海洋生物の図鑑や写真を参照したモチーフや、加藤が幼少期に体験した海での記憶が反映された新作の大型絵画や、過去作の彫刻などが並ぶ。さらに加藤が美術館の陶器コレクションとコラボレーションした、この場所ならではの作品群も見どころだ。

加藤泉の展示風景

瀬戸市まちなかエリア(北):商店街から旧小学校まで、建物に蓄積する時間と対話する

瀬戸市のまちなかエリアへは、会期中、愛知県陶磁美術館とつなぐ路線バスが1日に数本運行しており、約20分ほどで到着する。閉校した小学校や旧銭湯、粘土工場、商店街などが展示場所となり、現代美術展としては11組のアーティストによる作品を見ることができる。細い路地や坂道もあるため、徒歩での移動がおすすめだ。

展示は尾張瀬戸駅を挟んで、大きく北エリアと南エリアに分かれ、北エリアには冨安由真、アドリアン・ビシャル・ロハス、ロバート・アンドリュー、沖潤子、マイケル・ラコウィッツ、南エリアには佐々木類、ミネルバ・クエバス、シェイハ・アル・マズロー、セルマ&ソフィアン・ウィスィ、メイサ・アブダラ、panpanyaが出展している。

まちなかエリアの特徴は、既存建物を活用した展示が多いこと。その場所の歴史や特性を踏まえて制作された作品に数多く出会える。

尾張瀬戸駅から歩いて15分ほど、昔ながら商店街である銀座通り商店街のなかを進んでいくと、ショーウィンドウが鏡張りになったショップが出現する。冨安由真のインスタレーション《The Silence(Two Suns)》だ。

冨安は、芸術祭のテーマ「灰と薔薇のあいまに」に共鳴し、ひとつの店舗を丸ごと使った非現実的な空間を作り上げた。室内には瀬戸の鉱山で珪砂を精製する際に出る不純物が砂のように積もり、花びらがところどころに散らばっている。この花は非常に脆く、時間とともにやがて崩れて砂の山に一体化していく。奥にはかつて八百屋だったという店舗の什器などを再構築した夢幻的な空間が広がる。マジックミラー張りの店内では光が明滅し、照明がもっとも明るくなると外からも内部が見える仕組みになっている。「中では悲惨なことが起きているけれど、外では日常が続くことを象徴的に表したかった」と冨安は語る。作品タイトルには、死者の沈黙や現代の私たちの沈黙、そして祖父母が被爆者であるという作家の原爆への関心などが重ねられているという。

冨安由真 The Silence(Two Suns) 2025
冨安由真 The Silence(Two Suns) 2025

アドリアン・ビシャル・ロハスも既存の建物の歴史と向き合った作品を制作している。空間を生かした大規模なインスタレーションで知られる作家は、今回、旧瀬戸市立深川小学校の校舎を舞台とし、1階全体を使って「ありえたかもしれない世界」を創出した。

アドリアン・ビシャル・ロハス 地球の詩 2025

学校として使われていた当時の面影を残したままの理科室、放送室、給食調理室などの壁面には、その部屋の別次元の姿のような風景が広がり、その中に作家が作り出したメタ現実が展開される。ところどころに登場する生き物はネアンデルタール人など初期人類をモチーフとしており、壁画には時代や場所を超えた様々なモチーフが織り込まれている。人類の歴史と校舎に堆積した時間が交わる壮大なインスタレーションだ。

アドリアン・ビシャル・ロハス 地球の詩 2025

粘土の採掘を行う地元企業・株式会社加仙鉱山で作品を発表するのは、西オーストラリアの先住民族ヤウルの末裔であるロバート・アンドリュー。普段は一般公開されていない場所に入ることができるのも芸術祭の醍醐味のひとつである。

加仙鉱山の入り口。普段は一般公開されていない工場の内部を見ることができる

アンドリューは瀬戸の土と版築技術を用いた2点の作品を制作した。《内に潜むもの》では、版築により固められた土の層に仕込まれた糸が自動で巻き取られ、時間とともに土が崩れていく。巻き取られた糸は壁面に模様を描き出し、最終的にはすべての土が崩れ落ちる。精製した粘土の水を抜く作業場で展示されている《ブルの言葉》では、上空から落ちる水滴が土に浸透して「BURU」という文字を出現させる。「BURU」は「大地から空、そして時間を含む、周りに見えるすべてのもの」を意味し、アンドリューがヤウルの長老から贈られた言葉。いずれも固めて重ねられた層をテクノロジーで内側からじわじわと崩していくプロセスが作品となっており、自身が享受してきた西洋的価値観のなかで自らのアイデンティティを探求する意味合いが込められているという。

ロバート・アンドリュー 内に潜むもの 2025

また尾張瀬戸駅近くの梅村商店では、イラク系ユダヤの背景を持つアメリカ人アーティスト、マイケル・ラコウィッツが展示を行っている。イラク戦争後にISISによって破壊された古代アッシリア帝国の宮殿にかつてあったレリーフを実物大で複製するプロジェクトから、7点の作品が天井高いっぱいに並べられている。

マイケル・ラコウィッツの展示

カフェスペースでは、ラコウィッツ考案の「おこのみらき」が振る舞われる。様々なスパイスやトッピングを取り入れたオリジナルのお好み焼きや飲み物を提供しているので、まちなか散策の休憩スポットとしても訪れたい。

マイケル・ラコウィッツの展示
この日は作家自らが「おこのみらき」を振る舞ってくれた。トッピングはグリーンマンゴーのピクルス、デーツ、スパイスなど

このほか瀬戸の陶芸に大きな足跡を残した藤井達吉の工房を移築した茅葺入母屋造の建物「無風庵」では、沖潤子が展示。「祈り」をテーマに、人々から提供された10万本を超える針を使った作品を発表している。

瀬戸市まちなかエリア(南):工芸館や旧銭湯で体感する身体の記憶と場の記憶

南エリアの瀬戸市新世紀工芸館では、1階と2階を使ってセルマ&ソフィアン・ウィスィメイサ・アブダラの作品を展示。

1階では、チュニジア・チュニス出身の振付家、ダンサー、キュレーターであるセルマ&ソフィアン・ウィスィの展示「ラアルーサ」が展開されている。ここでは、チュニジア北西部セジュナンで女性陶工によって作られる陶器人形をテーマにした映像作品2点を発表。ふたつのスクリーンには、女性たちの作陶の手振りをふたりが演じる姿と、陶工のポートレイトが映し出される。「ラアルーサ」は「花嫁」と「人形」の二重の意味を持つ言葉。ユネスコ無形文化遺産に登録されたこの地の作陶技術に宿る身体性や地域の歴史、女性たちの集団的な記憶が詩的に交差する。実際に現地で作られている人形も展示される予定だという。

セルマ&ソフィアン・ウィスィ ジェスチャーの詩学 2011

2階では、民俗学や神話、ジェンダー、社会規範、心理学など幅広いテーマを探求しているアラブ首長国連邦の作家メイサ・アブダラが、連作絵画《あなたに負けるわけにいかない》を発表している。母親としての葛藤や人類の罪悪感、人間と環境の関係を浮き彫りにする5点の絵画を物語のように構成した「誕生」「ダンス」「死」の3章で展開。生まれてくる子供とともに芽生える罪悪感を象徴するように赤ちゃんは恐竜として描かれ、最後は母親がその恐竜に飲み込まれそうになる。悲観だけでなく、未来への意思も感じられるタイトルだが、この社会で母親になることの不安や葛藤を改めて問いかける作品だ。

メイサ・アブダラ《あなたに負けるわけにいかない》より、〈第1章 誕生〉(2025)

瀬戸の街にはかつて多くの銭湯があり、その日の仕事を終えた陶工たちが汗を流したという。そのひとつ「旧日本鉱泉」では、ガラスを用いた作品で知られる佐々木類の作品《忘れじのあわい》が展開されている。土地の環境や暮らしに結びついた植物に目を向け、場の歴史や記憶を探究してきた佐々木は、この地でリサーチを重ね、地元の人々とともに瀬戸に息づく様々な植物を採取した。時代の変遷や環境の変化を経て、いまなお生息する植物を封じ込めたガラス作品が、かつて銭湯を利用した人々の記憶が残る浴室で幻想的に浮かび上がる。

佐々木類 忘れじのあわい 2025
佐々木類 忘れじのあわい 2025

このほか瀬戸市美術館では、ミネルバ・クエバス、シェイハ・アル・マズローの2作家が作品を展示。またマンガ家panpanyaの作品は、大正4年に建てられた元旅館・松千代館をはじめ、まちなかの様々な場所で見つけることができる。

瀬戸市のまちなかエリアには9つの展示会場が点在している。徒歩圏内とはいえ、すべてを巡れば半日は要する。やきものの街ならではの風景や路地裏の発見も含め、アートと街の記憶が織りなす時間をゆっくりと味わいたい。

後藤美波(編集部)

後藤美波(編集部)

「Tokyo Art Beat」編集部所属。ライター・編集者。