公開日:2025年3月4日

「ヒルマ・アフ・クリント展」(東京国立近代美術館)レポート。スピリチュアリズムが導いた美しき抽象画。 歴史に埋もれていた女性画家の歩みを辿る2025年必見の展覧会

会期は3月4日~6月15日。初来日の作品約140点で、その体系化された作品世界に迫る

会場風景より、「10の最大物、グループIV」(1907)

再評価高まる画家、待望の日本での回顧展

東京国立近代美術館「ヒルマ・アフ・クリント展」が3月4日〜6月15日に開催される。

ヒルマ・アフ・クリント(1862〜1944)は、スウェーデン生まれの画家。その存在は長らく美術史の陰に隠れてきたが、20世紀に入って急速に再評価が高まり、近年は世界的に大ブレークしているアーティストだ。彼女への評価に際してよく語られることは、同時代の画家ワシリー・カンディンスキーやピート・モンドリアンらが切り開いたとされてきた抽象絵画について、彼女こそがその先駆者であった、というもの。そして19世紀末に活動した女性のアーティストの先駆者であった、というものだ。これらの評価が正当かどうかはいくつかの見方があるが、2018年のグッゲンハイム美術館(アメリカ、ニューヨーク)での回顧展が同館史上最多となる60万人を動員するなど、その注目の高まりには目を見張るものがある。日本では2022年にその再評価の流れを追った映画『見えるもの、その先に ヒルマ・アフ・クリントの世界』が上映され、実物の作品見る機会を心待ちにしていた人も多いだろう。

今回は、日本のみならずアジア初となるアフ・クリントの回顧展。初来日の作品約140点と資料によって、その体系化された作品世界を解き明かす。

本展の企画を担当する三輪健仁(東京国立近代美術館美術課長)は、「企画から足掛け5年」で実現した本展を感慨深いと語る。「5年前にヒルマ・アフ・クリント財団に展覧会の相談をした時点で、すでに今回のタイミングまで作品借用の空きがない状況だった」とのことで、それほど世界中の展覧会で引っ張りだこだということだ。

三輪はアフ・クリントの特徴である両面性について以下のように語る。

「王立芸術アカデミーで正当的な美術教育を受けたあと、肖像画や風景画の描き手としてキャリアを形成した。いっぽうで神秘主義に傾倒し、交霊術など通して抽象表現を生み出した。職業画家としての歩みと、アカデミックな美術とは異なるスピリチュアリズムが、ひとりの画家のなかに共存していた」

それでは、概ね年代順に紹介された本展の見どころをお伝えしたい。

会場入口

女性の画家が珍しかった時代に、正当な美術教育を受ける

アフ・クリントはスウェーデン・ストックホルムの裕福な家庭の第4子として生まれた。父親のヴィクトルは海軍士官で、天文学、航海術、数学などに親しみながら育つ。1882年に王立芸術アカデミーに入学、正統的な美術教育を受けた。王立芸術アカデミーへの女性の入学は1864年から認めていたものの、女性のアーティストは当時まだ少なかった。こうした先進的な環境にあって、アフ・クリントはのちにスウェーデン女性芸術家協会(1910年発足)の幹事という実務的な仕事を担うなど、多方面で活躍を見せた。

会場風景

本展は、在学中に制作された人体デッサンや植物図鑑のように緻密な写生などから始まる。これらを見ると、当時からすでに高い技術を習得していた様子がうかがえる。写実的な風景画や児童書の挿絵なども見どころだ。

会場風景より、《夏の風景》(1888)
会場風景より、アフ・クリントの写真(左)と、書籍『てんとう虫のマリア』のためのスケッチ(制作年不詳、右)

女性5人で交霊術、霊的存在からのメッセージを描く

職業画家としての活躍から一転、第2章からは作家のよりパーソナルな実践にフォーカスする。

作家にとって重要だったのはスピリチュアリズム(心霊主義:人は肉体と霊魂からなり、肉体は消滅しても霊魂は存在し続け、現世へ働きかけてくるという思想)だ。17歳の頃から興味を持ち始め、アカデミーでの学びと並行して、ストックホルムの知識人のあいだで流行していた神秘主義的思想への知見を深めた。とくにヘレナ・ブラヴァツキーが提唱した神智学には大きな影響を受けている。

会場風景

1896年には親しい4人の女性と「5人(De Fem)」というグループを結成。交霊術を行い、トランス状態のなかで高次の霊的存在からメッセージを受け取り、それらを自動書記や自動描画によって記録した。こうして描かれたドローイングは多数残っており、なかにはこの後のアフ・クリントの大型絵画にも繰り返し現れるような曲線や渦巻き、植物や細胞を思わせるかたちもすでに見られる。

啓示を受け、「神殿のための絵画」に着手

アフ・クリントの独自の視覚言語が開花を見せる重要な作品群が、全193点からなる「神殿のための絵画」だ。「5人」が交霊の集いにおいて、霊的存在から受けた啓示がもとになっており、その内容は「物質世界からの解放や霊的能力を高めることによって人間の進化を目指す、神智学的教えについての絵を描くように」というもの。

ちなみに、「5人」のメンバーのひとりであるアンナ・カッセルも画家であり、とくにアフ・クリントと親密な関係だった。この時期のアフ・クリントの作品の多くは、カッセルら周囲の人の手を借りながら制作されたという。

会場風景より、「原初の混沌、WU/薔薇シリーズ、グループⅠ」(1906-07)

「原初の混沌、WU/薔薇シリーズ、グループⅠ」(1906〜07)は26点から成る作品群。タイトルにあるWとは物質、Uは精神であり、WUはこのふたつの合一を指すという。アフ・クリントの作品のおいて、二項対立的な要素が統一されるイメージは繰り返し登場する。もっともわかりやすいのは女性性と男性性善と悪といったイメージだろう。二元性に引き裂かれた力を結びつけ、世界の始まりにあった単一性を取り戻すことが神智学の教えにおいて重要だったからだ。

会場風景より、「原初の混沌、WU/薔薇シリーズ、グループIII」(1907)

作品に度々登場する色として、青には女性性、黄には男性性が投影されたが、それは時に流動するものとされた。またモチーフとして度々登場するオウムガイは過去と現在を結びつける「生きた化石」を、展示の右下にある小麦は二元性の合一を象徴する。

神智学の詳細までは理解できなくとも、これらの作品を追っていくと、混沌のなかから世界が始まり、それが複雑さを増しながら、やがてひとつになっていくようなイメージをなんとなく読み込むことができるのではないだろうか。

アフ・クリントのこうした作品は、美術界における評価を狙ったり、新しい芸術表現を模索したものというよりも、自らと思想を同じくする人たちに向けて教義や世界観を共有することを目的に制作された。アフ・クリントはそのなかで抽象表現を切り開いていくが、こうした前提がほかの抽象絵画の祖とされるカンディンスキーやモディリアーニらとは異なることは踏まえておきたい。

会場風景

楽園のように美しい10枚の絵画

本展のハイライトは、なんと言っても「10の最大物」(1907)の来日だ。「楽園のように美しい10枚の絵画」を制作する啓示を受けた作家は、人生の4つの段階(幼年期、青年期、成人期、老年期)を描く10点組の大型絵画を描いた。乾きの早いテンペラ技法でわずか2か月のうちに制作されたという。

会場風景より、「10の最大物、グループIV」(1907)ともに「幼年期」を表す作品

本展は、この10点を四角形の展示壁四辺に2〜3点ずつ配置。ぐるりと歩きながら作品を見て回ることで、幼年期から老年期へと至り、そこからまた幼年期へと還っていくような循環構造を体感できる。幼年期は青や水色、青年期はオレンジ、成人期はピンク、老年期はより薄いピンクやオレンジといったように大まかなキーカラーが設定されているが、それらも流動的で混交している。

会場風景より、「10の最大物、グループIV」(1907)。順路としては画面の左手に向かって時計回りに幼年期、青年期、成人期、老年期と進んでいく。写真の中央は「老年期」を表す作品

実物を間近に見ると、思っていたよりも薄塗りで、ところどころに絵具の滴りが見えるなど、手早く描かれたらしいフレッシュさ、軽やかさが感じられた。一見、均一に見える色面にも色むらや変化があり、たとえば渦巻き状のかたちは中心に進むにつれ色が薄くなることで、画面に奥行きが生まれている。本作にも黄色と青、バラとユリといった二元性の合一を表現するモチーフが見られ、様々な象徴性が込められているが、そうした「絵解き」に頼らずとも、豊かな色や面白い形態を見て、感覚的に楽しむことができるだろう。

会場風景より、「10の最大物、グループIV」(1907)

大きさや技法からは彼女がかつて賞賛したルネサンス期イタリアの祭壇画を想起されるが、そういったキリスト教美術の重厚さや荘厳さとはまた違った感覚が呼び起こされる。個人的には、有機的なフォルムと柔らかな色彩が浮かぶ大画面からは、芽吹いた若葉や幼子の頬の産毛に宿るような柔らかな官能性を感じた。

会場風景より、「10の最大物、グループIV」(1907)

この後、「白鳥」シリーズなど、抽象から再び具象へと向かうアフ・クリントの展開も紹介される。

会場風景より「白鳥,SUWシリーズ,グループIX:パート1」(1914–15)
会場風景より、「祭壇画,グループX」(1915)

夢に終わった神殿の計画、残された124冊のノート

展示の後半は、1915年に「神殿のための絵画」を完成させたあとのアフ・クリントの歩みを紹介する。

会場風景より、「原子」シリーズ(1917)

1917年に制作された「原子」シリーズは、物理的な原子エネルギーと霊的な原子エネルギーとが描かれている。物理学や科学の進歩が目覚ましい19世紀末〜20世紀初頭において、しばしばこうした科学的発見は、いまでは意外なことにスピリチュアリズムとも結びついた。それまでのキリスト教的世界観からの逸脱、あるいは科学的進歩という大きな時代の変化のなかに、アフ・クリントの思想と芸術もあったと言える。(*パリ市立近代美術館で先日まで開催されていた「原子の時代」展でも、こうした切り口からアフ・クリントが紹介されていた。レポートはこちら

50代となったアフ・クリントは、1920年に介護していた母親が亡くなると、「人智学」への傾倒を深め、その本拠であるドルナッハ(スイス)に何度も長期滞在。人智学の創始者ルドルフ・シュタイナーに影響を受け、作品も幾何学的な図式から水彩のにじみを活かした色の探求へと向かっていく。

本展が強調するのが、この時期の作家の「編集者的、アーキヴィスト的」活動だ。アフ・クリントは自身の思想や表現を記した過去のノートの編集や改訂を行ったほか、「神殿のための絵画」を設置するための巨大な神殿の構想を重ねている。

会場風景より、神殿が描かれたスケッチ

また1910年代後半に制作された「青の本」と呼ばれる10冊の本は、全193点からなる「神殿のための絵画」の全貌をプレゼンテーションするための機能を持つ。見開きページの左には各作品を縮小して手書きで描いた水彩画を、右ページには同作品の白黒写真をレイアウトしている。夢想した神殿は実現しなかったが、アフ・クリントが自らの仕事を体系的に整理し、その全体像を残し伝えようとした意欲がうかがい知れる。

会場風景より、「青い本」

アフ・クリントは81歳で亡くなるが、甥に託された作品は1300点、124冊のノート類は総計26,000ページにも及ぶという。

会場風景

カンディンスキーやモンドリアンより凄いのか

アフ・クリントは近年急速に再評価が高まっているが、彼女の残した芸術的遺産については今後も丁寧な検証が待たれる。

三輪は記者説明会で、「2013年以降、アフ・クリントについて語るうえで同時代のカンディンスキーやモンドリアンに先駆けた抽象絵画の先駆者、というのが売り文句になっている」と語りつつ、「(抽象表現の創設者としての)一番二番争いよりも、そうした作家との共通点や差異を探ることが現在は(アカデミアのなかで)重要視されている」と説明。

「たんにいちばん早かったということではなく、彼女の先駆性とはなんなのか、具体的に考えていく必要がある。同時代のみならず、戦後の抽象表現主義やポップアート、さらに現代までを含めたより長い時間軸において、その先駆性と魅力をどのように評価していくか。美術史のなかにどのように位置付けていけばいいか。これまでは美術史において、スピリチュアリズムや神秘主義と美術との関係をうまく位置付けられてこなかった。思想を持ったひとりのアーティストである彼女を本当に20世紀の抽象絵画の出発点に位置付けるのであれば、これまでの美術史を書き換えざるを得ない。それがまだうまくできていない。(現在の再評価の)その先にも考えていくことがある。日本での展示がこうした課題を前進させることができたら嬉しい」と締め括った。

再発見や再評価という大きな波のなかにいるアフ・クリント。その代表作を含む作品が一堂に会した本展は、今年必見の展示だ。

またTokyo Art Beatでは、企画担当者である三輪健仁(東京国立近代美術館美術課長)が、ヒルマ・アフ・クリントをより詳しく解説するインタビュー記事を公開予定。こちらもお楽しみに。

*かわいいグッズがいっぱいの、展覧会グッズ記事はこちら

福島夏子(編集部)

福島夏子(編集部)

「Tokyo Art Beat」編集長。『ROCKIN'ON JAPAN』や『美術手帖』編集部を経て、2021年10月より「Tokyo Art Beat」編集部で勤務。2024年5月より現職。