「蔦屋重三郎 コンテンツビジネスの風雲児」会場風景より
江戸時代の出版人・蔦屋重三郎(1750〜97)。現在NHKで放送されている大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」の主人公である蔦重の出版活動の全貌をひもとく展覧会「蔦屋重三郎 コンテンツビジネスの風雲児」が、4月22日から東京・上野の東京国立博物館 平成館で開催されている。
本展は、蔦屋が世に送り出した黄表紙や洒落本、狂歌本、浮世絵などを中心に、258件(会期中展示替えあり)の作品を通して、“江戸のメディア王”たる蔦重の活動、そして彼が創出した価値観や芸術性に迫るもの。担当は、東京国立博物館学芸企画部長の松嶋雅人。
寛延3年(1750)に幕府公認の遊郭である吉原の地に生まれた「蔦重」こと蔦屋重三郎。貸本業から身を起こし、出版人として活動の幅を広げていった。喜多川歌麿、東洲斎写楽といった浮世絵師を世に送り出したことでも知られ、時流をつかみながら数々のベストセラー作品を生んだ。本展ではそうした“敏腕プロデューサー”としての蔦重の足跡を3章に分け、時系列でたどっていく。
展示は第1会場と第2会場の2会場にわたる。第1会場に足を踏み入れると、大きな門が来場者を出迎える。これは「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」の撮影で実際に使用されたセットで、吉原への唯一の入場口であった大門を模したもの。歌川豊春、歌川国貞、歌川広重らの浮世絵を参考に作られたという。展示室には桜や灯篭のようなセットも置かれ、春の江戸の風情を演出した空間に、蔦重が生きた吉原の街並みや遊女たちを描いた屏風、浮世絵などが並ぶ。
蔦重の出版人としての活動は、吉原の情報誌『吉原細見』の出版に携わるところから始まった。当初はリサーチャーのようなかたちで関わったという蔦重は、本のデザインを変え、コストダウンを実現するなど、顧客視点を取り入れて『吉原細見』を刷新。斜陽だった吉原に多くの客を呼び込んだ。本展では蔦重が関わる前と後の『吉原細見』を比べて見ることができる。
さらに蔦重が初めて手がけた出版物『一木千本』や、蔦重が大手版元の西村屋与八と組んで参画した100枚を超える美人画の大型シリーズ企画《雛形若菜初模様》も展示。『一木千本』には、様々に生けられた花が描かれているが、これは遊女を花に見立てた遊女評判記なのだという。蔦重は出資者を募って制作するというビジネスモデルで、この本をはじめとする様々な出版物を手がけた。
蔦重は当時流行していた浄瑠璃の台本である正本や教科書など既存の分野での出版物も展開し、手堅いビジネスで資金を蓄えながら、黄表紙や洒落本といった戯作の出版に手を広げていく。
当時の流行など時流をとらえた内容を、風刺や滑稽を織り交ぜ、古典を踏まえてパロディーした黄表紙や洒落本は大衆の心を掴み、山東京伝ら人気作家を独占的に囲い込みながら彼らとともに大人向けの読み物を世に送り出していく。ここでは、寛政の改革による出版統制を受けつつも制作された、『浦島太郎』の後日譚を描いたパロディ作品《箱入娘面屋人魚》(山東京伝作)などが紹介されている。
またこの章では、蔦重が初めて自ら出版した『吉原細見』に序文を寄せた平賀源内との出会いにも言及されており、源内が自ら制作したエレキテルを見ることができる。
第2章では、天明期(1781〜89)を中心に、江戸で爆発的な人気を誇った狂歌と蔦重の関わりに光を当てる。
蔦重は自らも狂歌師「蔦唐丸」として文芸活動を行うが、出版人としても狂歌本に活路を見出し、四方赤良(大田南畝)、唐衣橘洲、朱楽菅江といった当時の有力な文化人たちとネットワークを築きながらブームを牽引していく。
さらにもともと文字だけの世界であった狂歌に、絵を描かせて豪華な狂歌絵本を制作。喜多川歌麿が絵を添えた狂歌絵本は、本展の見どころのひとつ。「虫」にちなんだ狂歌を寄せた『画本虫撰』、「貝」を題にとった『潮干のつと』、「鳥」がテーマの『百千鳥狂歌合』に描かれた虫やカエル、貝や鳥などは図鑑のように写実的な描写が美しい。
プレス内覧会にて、本展の企画担当である松嶋雅人が「個人的な思いが強い」と語ったのが、歌麿による枕絵《歌まくら》。創立150年を超える東京国立博物館の歴史のなかで枕絵が展示されるのは初めてだという。茶屋での男女の機微が描かれている本作。体の輪郭が繊細な線描で表現されているが、松嶋は「たとえばダヴィンチやピカソのデッサンは、線だけで丸みや柔らかさ、かたちが表されている。(本作は)それを凌駕するくらいの線筆なのではないか」「見る人によってふたりの感情が様々に思い描ける重層的な絵」と評する。
47歳で亡くなった蔦重が出版界で活動したのは25年ほど。浮世絵界に進出したのはその後半期である寛政期(1789〜1801)だ。喜多川歌麿、東洲斎写楽、栄松斎長喜といった名だたる絵師を発掘し、その魅力を活かした浮世絵を企画・出版した。3章はかれらを中心とした絵師たちの浮世絵が一挙展示される。
全身像が一般的だった美人画において、蔦重と歌麿は人物の顔をクローズアップした大首絵の構図で作品を発表した。第1会場最後の展示室では、歌麿の作品を多数展示している。
歌麿は記号的な女性像でなく、実際に街に生きる市井の女性たちの個性を生き生きと描いた。代表作《婦女人相十品 ポッピンを吹く娘》は、ガラス細工のポッピンを口にした町娘がふいに振り返った瞬間をとらえており、翻った袖がモデルの動きを感じさせる。《高名三美人》に描かれた女性たちも一見同じような表情に見えるが、鼻や目などをよくよく見るとそれぞれに顔つきが描き分けられているのがわかる。
また、ここでは蔦重のライバル的存在でともに浮世絵黄金期を盛り上げた西村屋与八をはじめ、若狭屋与市、村田屋治郎兵衛など他の版元から刊行された浮世絵も版元ごとに紹介されている。
蔦重が吉原に構えた本屋「耕書堂」ののれんをくぐって第2会場に入ると、鳥居清長、勝川春潮、窪俊満、栄松斎長喜らの作品が並ぶ。半ば専属絵師であった歌麿が蔦屋を去ったあとに、蔦重が新たに起用した長喜は江戸だけでなく、大坂の芸妓らも描いた。
そして本章の最後のパートとしてフォーカスされているのが、東洲斎写楽の作品群だ。役者の顔の特徴をとらえダイナミックに描いた写楽の役者絵を、4期に分けて紹介している。
有名な《三代目大谷鬼次の江戸兵衛》は、寛政6年(1794)の芝居興業を黒雲母摺の豪華版で制作した全28図のうちの1点。演目「恋女房染分手綱」のなかで、悪党の江戸兵衛が、市川男女蔵が演じた奴一平に襲い掛かろうとする場面が表されている。対峙する奴一平の大首絵と対となるように描かれたもので、2作が並べて展示されている。
さらに背景のない全身の人物像となった第2期、サイズが大判でなくなり、顔の個性も抑えられた第3期、全10図のみが現存するという顔や衣装も簡略化された第4期と、その表現の変遷をたどり、わずか10ヶ月で姿を消したミステリアスな絵師・写楽の画業にたっぷりと触れることができる。
最後に附章として展開されるのが、「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」のセットとともに再現された天明・寛政期の日本橋の街並み。「べらぼう」の考証にも携わる本展担当の松嶋は、「ドラマでは毎週のように蔦重が出した出版物が役者さんの手元に映っている。それは復元されたものだが、オリジナルが展示会場には並んでいるので、ドラマを見て、そのもととなった出版物をここでご覧いただくことで、200数十年前の江戸を感じ取ってもらえたら」と話す。
耕書堂のセットはのれんをくぐって中に入ることもでき、見応えがある。「べらぼう」で使われた小道具や衣装のデザイン画なども展示され、ドラマファンなら訪れたいコーナーだ。大掛かりなセットで蔦重が生きた江戸の街を体感させ、本展は幕を閉じる。
なお本展ではオリジナルグッズも多数展開。グッズの詳細はこちらの記事からチェック。