公開日:2025年6月28日

【開幕レポート】「高畑勲展一日本のアニメーションを作った男。」(麻布台ヒルズ ギャラリー)で見るリアリズムを超えた表現革命

スタジオジブリ監督の軌跡をたどる展覧会。Netflix配信開始で話題沸騰の『火垂るの墓』から『かぐや姫の物語』まで制作秘話を公開。会期は6月27日〜9月15日まで

会場風景より © 野坂昭如/新潮社, 1988

麻布台ヒルズ ギャラリー「高畑勲展一日本のアニメーションを作った男。」が開幕した。会期は6月27日から9月15日まで。

高畑勲(1935〜2018)が半世紀にわたって日本のアニメーション界を牽引し続けた軌跡は、まさにアニメーションの可能性を押し広げ続ける挑戦の連続だった。1960年代の『太陽の王子 ホルスの大冒険』から、70年代の『アルプスの少女ハイジ』『赤毛のアン』、そして80年代以降の『火垂るの墓』と遺作となる『かぐや姫の物語』まで——高畑はなぜこれほどまでに多様な表現に挑み続けたのだろうか。

会場風景より

本展では、制作ノートや絵コンテなどの貴重な資料を通じて、高畑の創作の核心に迫る。また、終戦から80年を迎える本年には『火垂るの墓』に関する新たな資料も展示される。アニメーションというメディアで何を表現すべきか。その問いに生涯をかけて向き合ったひとりの表現者の軌跡を、改めて見つめ直してみたい。

※Tokyo Art Beatでは『ジブリの戦後──国民的スタジオの軌跡と想像力』(中央公論新社)の著者、渡邉大輔のインタビューも公開中:

『太陽の王子 ホルスの大冒険』が切り拓いた新たな地平

本展は、1959年に東映動画(現・東映アニメーション)に入社してアニメーションの演出家を目指した高畑のキャリアの始まりと歩調を合わせている。第1章では、演出助手時代の『安寿と厨子王』(1961)から長編初監督作品『太陽の王子 ホルスの大冒険』(1968)までの道のりを追うことができる。

会場風景より

『太陽の王子 ホルスの大冒険』は、アイヌの民族叙事詩をモチーフとして深沢一夫が人形劇のために書いた脚本「チキサニの太陽」をベースに、主人公ホルスが村人たちと団結して悪魔を倒すまでを描く壮大な物語である。企画段階から3年半を要し、制作スタッフと会社側との度重なる闘争の末に完成した本作は、制作費が当初の予算7000万円を大幅に超え1億3000万円にも達した。大塚康生、森康二、宮﨑駿、小田部羊一ら、のちの高畑作品に関わることになる多くのスタッフが参加しているのも特徴である。

会場風景より、『太陽の王子 ホルスの大冒険』のキャラクタースケッチなど © 東映

本作で高畑が試みたのは、従来の上意下達式ではない「民主的な集団制作」だった。脚本をスタッフ全員に配布し、創作ノートを共有して作品を練り上げていく。展示されたスタッフのメモからは、熱気あふれる制作現場の様子がうかがえる。

とくに興味深いのは、当時最年少の動画員だった宮﨑駿による覚書だ。村の生活を丁寧に描写することが物語にリアリティーを与えるという主張は、のちの両者の作品作りにも通じる重要な視点を示している。

会場風景より、『太陽の王子 ホルスの大冒険』関連資料 © 東映

さらに、高畑が制作した「テンション・チャート」や色分けされた感情起伏の図表も展示されており、物語の構築に対する緻密なアプローチを知ることができる。当初予算を大幅に超える制作費と3年半という歳月をかけた本作は、まさに高畑勲という表現者の原点が詰まった記念碑的作品なのだ。

会場風景より、テンションチャート © 東映

テレビアニメーションでの革新

東映動画を去った高畑は、『アルプスの少女ハイジ』(1974)、『母をたずねて三千里』(1976)、『赤毛のアン』(1979)という一連のテレビの名作シリーズで新境地を切り拓く。毎週1話を完成させる制約のなかでも、日常生活を丹念に描写することで生き生きとした人間ドラマを創造していった。

会場風景より、『アルプスの少女ハイジ』のコーナー © ZUIYO 「アルプスの少女ハイジ」公式HP:www.heidi.ne.jp
会場風景より、『アルプスの少女ハイジ』の絵コンテ © ZUIYO 「アルプスの少女ハイジ」公式HP:www.heidi.ne.jp
会場風景より、『アルプスの少女ハイジ』のコーナー © ZUIYO 「アルプスの少女ハイジ」公式HP:www.heidi.ne.jp

注目すべきは『アルプスの少女ハイジ』で高畑が考え、宮﨑駿が実践した「レイアウトシステム」だ。演出意図を効率的に完成画面に反映させるこの手法は、のちのアニメーション制作現場に大きな影響を与えた。また、19世紀スイスの生活をリアルに描くため、テレビアニメとしては初の海外ロケハンを実施したことも特筆すべき点だ。

会場風景より、『パンダコパンダ』のコーナー © TMS

いっぽう『パンダコパンダ』(1972)では、原作者の許可が下りず制作中止となった幻の企画『長くつ下のピッピ』で準備していた活発な女の子のイメージが活用された。展示では「絵コンテのためのラフシナリオ」が公開されており、宮﨑駿執筆の脚本原案に対して高畑がセリフを加筆・修正し、演出上のメモや構図のスケッチを添えた過程を見ることだできる。ふたりがどのようにシナリオを練り上げ、絵コンテの基礎を築いたかを伝える貴重な資料である。

会場風景より、『長くつ下のピッピ』関連資料 
会場風景より、『パンダコパンダ』のコーナー © TMS

戦争への想像力を養う『火垂るの墓』

80年代以降、高畑の創作は日本を舞台にした作品に特化していく。この取り組みは、スタジオジブリにおける『火垂るの墓』(1988)、『おもひでぽろぽろ』(1991)、『平成狸合戦ぽんぽこ』(1994)の作品群に結実する。

Netflixで7月15日からの配信開始でふたたび注目を集める『火垂るの墓』。アジア・太平洋戦争の末期、身を寄せていた叔母の家を出て、ふたりだけで生き抜こうとした兄妹の悲劇を描く野坂昭如の同名小説の映画化だ。今年は終戦80年という年でもあり、『火垂るの墓』のコーナーはほかより広いスペースが確保され、新しい資料も公開されている。

会場風景より、『火垂るの墓』のコーナー © 野坂昭如/新潮社, 1988
会場風景より、『火垂るの墓』のコーナー © 野坂昭如/新潮社, 1988

高畑は野坂の小説を原作とする本作で、自ら脚本も手がけている。そして、その脚本化の過程は興味深い。小説のコピーをノートに切り貼りして、そこにシナリオのメモ書きやコンテイメージを添えていく——展示ではその貴重な資料が揃う。高畑の狙いは、主人公である清太に現在の子供を重ね合わせて、未来に起こるかもしれない戦争に対する想像力を養う物語に仕立て直すことにあった。

会場風景より、『火垂るの墓』のイメージボードおよびロケハン写真 © 野坂昭如/新潮社, 1988
会場風景より、『火垂るの墓』レイアウトなど © 野坂昭如/新潮社, 1988

いっぽう、長年高畑作品を支えてきた色彩設計の保田道世にとって、この作品は転機となった。1940年代の戦時下の日本人の姿をリアルに描き出すため、彩度を抑えたパレットを目指して多数の新色を作ったのだ。

会場風景より、『火垂るの墓』色指定 © 野坂昭如/新潮社, 1988

さらに美術監督の山本二三は、解像度を上げたリアリズムによって幼い兄妹の戦争体験に迫った。とりわけ炎、煙、水蒸気、光といったかたちのないものの複雑なニュアンスを描写することで、背景に心理的な効果を添えることに成功している。

会場風景より、『火垂るの墓』美術ボード © 野坂昭如/新潮社, 1988
会場風景より、『火垂るの墓』セル画と背景画 © 野坂昭如/新潮社, 1988

記憶の質感をアニメーションで表現

『おもひでぽろぽろ』(1991)は岡本蛍と刀根夕子による同名マンガを原作にしているが、高畑は大人になった主人公が昔の自分を回想するという原作にはない構成に作り変えた。1966年が舞台となり、子供時代を描いた「思い出編」とその16年後の「現代編」を巧妙に構成している。

本作において『火垂るの墓』に続いてキャラクターデザインを担当した近藤喜文は、高畑とともにアニメーションにおける日本人の顔の新たな表現方法を模索した。20代後半の大人のキャラクターをいかに設計するかという課題に対し、主人公の声を担当した今井美樹と柳葉敏郎のスケッチを重ね、笑いじわまでも描き込む作画法を考案した。

会場風景より、近藤喜文によるスケッチ © 1991 Hotaru Okamoto, Yuko Tone/Isao Takahata/Studio Ghibli, NH

本作ではじめて高畑作品の美術監督を務めた男鹿和雄は、「現代編」と「思い出編」を異なるスタイルで描き分けた。「現代編」では山形の豊かな自然をシャープに表現するため徹底した細部の描き込みを追求し、「思い出編」では記憶のなかの情景という雰囲気を出すため、白を多用した淡い色調で統一している。

会場風景より、『おもひでぽろぽろ』の背景画 © 1991 Hotaru Okamoto, Yuko Tone/Isao Takahata/Studio Ghibli, NH

変化は誰にでもできる! 記録映画として描く環境破壊

『平成狸合戦ぽんぽこ』(1994)は宅地開発が進み、里山の自然が失われつつあった頃の多摩丘陵を舞台に、住む場所を失ったタヌキたちが、先祖伝来の"化け学"を駆使して人間に対抗しようとする物語。「僕はこの映画は記録映画だと思っている」とも語った高畑は、タヌキと人間との関わりを取材し、現実に即した作品世界を構築した。

会場風景より、『平成狸合戦ぽんぽこ』のコーナー © 1994 Isao Takahata/Studio Ghibli, NH
会場風景より、『平成狸合戦ぽんぽこ』のコーナー © 1994 Isao Takahata/Studio Ghibli, NH

注目すべきは男鹿和雄の背景美術だ。『おもひでぽろぽろ』で細部まで描き込み過ぎたかもしれないと省みた男鹿は、本作品では省略の方法を模索したという。画面全体を同じ密度で描くのではなく、描き込む部分と省略する部分のメリハリをつけることで、観客が想像力を働かせる余地を背景に残している。

会場風景より、『平成狸合戦ぽんぽこ』のセル画と背景画 © 1994 Isao Takahata/Studio Ghibli, NH

シナリオ作りと並行して、百瀬義行と大塚伸治による大量のイメージボードも描かれた。展示ではタヌキの生態や化ける方法に関するユーモラスなアイディアの数々を楽しむことができる。

会場風景より、『平成狸合戦ぽんぽこ』のイメージボード © 1994 Isao Takahata/Studio Ghibli, NH

90年代以降の表現形式への探求

90年代以降の高畑は、アニメーションの表現形式へのあくなき探求者となる。絵巻物研究に没頭して日本の視覚文化の伝統を掘り起こし、人物と背景が一体化したアニメーションの新しい表現スタイルを模索し続けた。その成果が『ホーホケキョ となりの山田くん』(1999)と『かぐや姫の物語』(2013)に結実する。

『ホーホケキョ となりの山田くん』で高畑は、自らも追求してきた密度の高いリアリズムが「観客の想像力の余地を奪っているのではないか」という危惧から、見かけ上のリアリズムを放棄する決断を下した。原作の描線をアニメーションに活かすため、シンプルな線画に水彩で色づけし、隅々まで描かずに余白を残して仕上げる背景作りを試みた。さらにセル画ではなくデジタル技術を用いて、手描きの水彩のタッチを表現するという世界でも前例のない技法を開発した。

会場風景より © 1999 Hisaichi Ishii/Isao Takahata/Studio Ghibli, NHD

スケッチの線が生命となる瞬間

『かぐや姫の物語』(2013)は企画から完成まで8年をかけて『竹取物語』を映画化した、高畑にとって最後の監督作品。作画設計の田辺修、美術の男鹿和雄を中心に、日本を代表するアニメーション制作スタッフが結集した。

会場風景より、『かぐや姫の物語』のコーナー © 2013 Isao Takahata, Riko Sakaguchi/Studio Ghibli, NDHDMTK
会場風景より、『かぐや姫の物語』のコーナー © 2013 Isao Takahata, Riko Sakaguchi/Studio Ghibli, NDHDMTK

『ホーホケキョ となりの山田くん』で培われた表現を踏まえ、本作ではスタッフがさらに進化した映像を生み出した。とりわけ印象的なのは、かぐや姫が怒りと悲しみにかられて疾走する場面だ。激しい線の渦は、1枚の絵では何を描いているかわからないほどに抽象化されているが、動画になると全身をつかった感情表現として立ち現れる。線画の機能と感覚的な刺激を衝突させ、劇的なイメージを創出している。

会場風景より、『かぐや姫の物語』のコーナー © 2013 Isao Takahata, Riko Sakaguchi/Studio Ghibli, NDHDMTK
会場風景より、『かぐや姫の物語』原動画 © 2013 Isao Takahata, Riko Sakaguchi/Studio Ghibli, NDHDMTK

また、かぐや姫が満開の桜の大樹の下で舞うシーンでは、喜びを全身で表すダイナミックな映像を目指し、カメラの動きにあわせて背景画の必要な部分だけが描かれたという。目盛りがついた図は、カメラの動きをスピードも含めて指示するもので、橋本晋治自らが設計したものだ。

会場風景より、『かぐや姫の物語』のコーナー © 2013 Isao Takahata, Riko Sakaguchi/Studio Ghibli, NDHDMTK
会場風景より、『かぐや姫の物語』のコーナー © 2013 Isao Takahata, Riko Sakaguchi/Studio Ghibli, NDHDMTK

じつは高畑のアニメーション人生は「竹取物語」とともに始まっていたとも言える。新人時代に内田吐夢監督のもとで記した幻の企画「ぼくらのかぐや姫」から半世紀を経て、遺作『かぐや姫の物語』でついに自らの手で完成させた——その軌跡こそが、高畑勲という表現者のすべてだったかもしれない。

会場風景より

高畑が追求し続けた「日本らしさ」とは何だったのか。豊富な資料に囲まれた展示室で、その問いの答えを探してみたい。鑑賞には十分時間を確保して訪れることをおすすめする。

また、展示を堪能したあとはかわいいオリジナルグッズが揃うグッズ売り場もチェックしてほしい。

灰咲光那(編集部)

灰咲光那(編集部)

はいさき・ありな 「Tokyo Art Beat」編集部。慶應義塾大学大学院社会学研究科博士課程単位取得退学。研究分野はアートベース・リサーチ、パフォーマティブ社会学、映像社会学。